2016年05月09日

受験生の皆さんへ その2


そうは言っても、音楽大学での生活の充足感、問題は全て先生との関係だけで訪れるものではない。

多くの卒業生は、どちらかというと周りの学生、先輩や後輩、同級生との関係を思い出として強く持つ。受けた影響も大きく感じている。

周りに上手い人がいることは何よりの宝だ。そして周りに上手い人がおらず自分が天狗になれる環境だとしたら、それは少なからず残念なパターンとなる。

同世代、同じ釜の飯を食うということは、仲間でありライバルとなる。時にはマニアックを共有し、共に成長し、時には煽られ、焦らされ。つまり先生とは違い、若い自分のスキルを測るのに凄くわかりやすいサンプルであり、同世代だからこその腹を割った相談、議論、喧嘩もできたりする。


先生はその立場にはほぼならない。


演奏家は誰しも、大学時代の良き記憶として、数名の学生を思い出にもっている。やはり彼らから受けた影響あっての演奏人生だと思っている。


ただそう思えるのは、実は、間違いなく自分自身が頑張ったからである。

そう考える材料として、以前から不思議に思っていることを書いてみる。

プロの現場にて30代ぐらいになったあたりを見つめると気づくのだが、とある学年限定で名手がゴロゴロいたり、ある大学卒業の限定された楽器で、その2,3年の間にやたら上手いのが数人いたりする。

「君の世代の辺りって凄いよねぇ。上手い人だらけじゃん」

「いやあ、〇〇先輩がいたからですよ。出来ることの当たり前の基準が自動的に高くなるし、みんな影響受けましたからねぇ」

ただ、何故だかその流れは長くは続かない。その数年の後は永きに渡って名手は現れなかったりする。二年も三年も高いレベルが存在したなら、何故その下にはそれが浸透しないのか。場合によっては、極端にレベルの差ができたりする。

吹奏楽コンクールの名門校なら、何十年も高いレベルが保たれることはある。しかし音楽大学ではそのスパンは、まずない。

これは統率する先生の力量か、学生本人のスキルかの違いである。つまり、学生同士の環境さえよければ、それがそのまま自分の力になるわけではない。


全ての教師が常に発する言葉は、いつの時代も大学生を追い込み、そして励ましている。


「どこで学ぼうが、結局最後は自分次第だ」


この真理、他力本願からくる言い訳がない学生時代を送ることができるようになるため、受験生の時にこそ強く染み込んでいて欲しい、音楽へと立ち向かう人にあるべき深き根なのです。


N響、高崎公演。

posted by take at 22:58| 活動報告