2016年05月11日

壮大な夢


「まねきねこ〜」

隣で飲んでいる生徒がつぶやいた。僕からは見えない位置、彼女の視線の先には、商売繁盛を願うにゃんこが鎮座しているよう。

「百万両って書いてある〜」

どうやら、にゃんこが持つ小判(大判?)は、そんな金額らしい。ほろ酔いな私が聡明な頭で妄想するに、これはそっくり、この店が最終的に稼ぎたい目標額なのだろう。


たけ「一両って、確か10万円くらいだっけ?」

「そんなに?でも、庶民でも持てたんですよね」

たけ「じゃあもう少し安かったのかなあ。10万じゃ持ち歩くの怖いし、落としたら大変やね」


生徒が調べてくれた。

諸説あるようだが、初期は10万円、江戸中期には5万円くらいに下がり、幕末には3千円程度にまで下落したよう。

たけ「なんとかー!凄い変動やなあ」

ふと計算してみる。百万両稼ぎたいということは、初期レートで1000億円、幕末レートで30億円という目標額になっている。

たけ「がいに欲張りやがな」

いや、人の希望はそれぞれ自由なので、他人がとやかく言う筋合いではない。ただ、今日僕はこの店に多分3千円くらい落とすのだろうが、そんなペースで百万回来店してようやく30億である。百万回一人で来るには、毎日来店しても約2740年必要なわけで、長生きを目指す僕でも(目指しとんか?)多分不可能なので、大人数で飲みに来るしかない。


随分夢のデカイ店だが、酒やつまみの値段設定はそれなりに庶民派であり、親近感がキンコンカン! 店長の優しさとなんこやに拡がる彼の壮大な夢は、現実的マッチングにほど遠くも感じるが、まあそれもまた人生。

とにかく難しいことはよくわからないので、少しでもドリームズカムとるー目指し、もう一杯ホッピーを注文してあげることにしよう。

え?もっと高いもの頼め? しゃーないなー、じゃあ 塩サバとブリカマ、あとタコワサビ……え?たこわさないの?この店!!


川越へ。

posted by take at 10:47| 活動報告

2016年05月10日

朝ドラ


朝起きられない人の話になった。

いや、僕も随分なスリーピング人生だが、「起きられなくて困った困った」ってほどではない。

なぜそう思うかというと……


( ̄ロ ̄;)電車の中や、駅のベンチ、ホームで、「あちゃー、あんたここ公共の場やでー」とツッコミが入るほど、あらわな姿で寝ている

ないしは

( ̄ロ ̄;)目覚ましが三つ、いや四つ、いや五つないと起きられないとか、びっくりするくらいデカイ音で鳴っても起きないとか

そんな話を聞くから。いや〜、日本を代表する強者たちです。

そうするとペナルティーがあったり、ダメージ受けたりが今の社会の現実なので、そんなスリ中(スリーピング中毒)の人の為に、絶対起きるパターンを、優しいあたしは飲みながら考えてみた。


(´Д`)毎朝、違う人の声の録音で、叱られる

(´Д`)かけ布団がどこかへいってしまう(季節限定)

(´Д`)枕が膨らんでいき、爆発する

(´Д`)部屋の窓が自動的に開き、冷たい風が(季節限定)

(´Д`)ベッドか勝手に斜めって床へ落ちる

(´Д`)布団が斜めってゴロリンコ

でも、それでも寝てる可能性あるなあ。では、これではどうか

(´Д`)一発で起きないと、家賃が倍になってしまう(ひぃぃっ!賃貸限定)

現実的効果抜群なのは「水」だと聞いた。では

(´;ω;`)水滴が落ちてくる、それでも起きないとコップ一杯の水がかかる、それでも起きないとバケツ一杯の水がかかる、それでも起きないとシャワー全開がかかり、遂には部屋中をスプリンクラーが


ただ、ドリフのコントじゃないが、一番インパクトがあるのは


(ToT)部屋の床、布団と自分だけ残り、家がどこかへいってしまう


となった。

皆さん、頑張って起きましょう。朝の来ない夜はない。


ピアノ合わせ。川越へ。

posted by take at 10:29| 活動報告

2016年05月09日

受験生の皆さんへ その2


そうは言っても、音楽大学での生活の充足感、問題は全て先生との関係だけで訪れるものではない。

多くの卒業生は、どちらかというと周りの学生、先輩や後輩、同級生との関係を思い出として強く持つ。受けた影響も大きく感じている。

周りに上手い人がいることは何よりの宝だ。そして周りに上手い人がおらず自分が天狗になれる環境だとしたら、それは少なからず残念なパターンとなる。

同世代、同じ釜の飯を食うということは、仲間でありライバルとなる。時にはマニアックを共有し、共に成長し、時には煽られ、焦らされ。つまり先生とは違い、若い自分のスキルを測るのに凄くわかりやすいサンプルであり、同世代だからこその腹を割った相談、議論、喧嘩もできたりする。


先生はその立場にはほぼならない。


演奏家は誰しも、大学時代の良き記憶として、数名の学生を思い出にもっている。やはり彼らから受けた影響あっての演奏人生だと思っている。


ただそう思えるのは、実は、間違いなく自分自身が頑張ったからである。

そう考える材料として、以前から不思議に思っていることを書いてみる。

プロの現場にて30代ぐらいになったあたりを見つめると気づくのだが、とある学年限定で名手がゴロゴロいたり、ある大学卒業の限定された楽器で、その2,3年の間にやたら上手いのが数人いたりする。

「君の世代の辺りって凄いよねぇ。上手い人だらけじゃん」

「いやあ、〇〇先輩がいたからですよ。出来ることの当たり前の基準が自動的に高くなるし、みんな影響受けましたからねぇ」

ただ、何故だかその流れは長くは続かない。その数年の後は永きに渡って名手は現れなかったりする。二年も三年も高いレベルが存在したなら、何故その下にはそれが浸透しないのか。場合によっては、極端にレベルの差ができたりする。

吹奏楽コンクールの名門校なら、何十年も高いレベルが保たれることはある。しかし音楽大学ではそのスパンは、まずない。

これは統率する先生の力量か、学生本人のスキルかの違いである。つまり、学生同士の環境さえよければ、それがそのまま自分の力になるわけではない。


全ての教師が常に発する言葉は、いつの時代も大学生を追い込み、そして励ましている。


「どこで学ぼうが、結局最後は自分次第だ」


この真理、他力本願からくる言い訳がない学生時代を送ることができるようになるため、受験生の時にこそ強く染み込んでいて欲しい、音楽へと立ち向かう人にあるべき深き根なのです。


N響、高崎公演。

posted by take at 22:58| 活動報告

2016年05月08日

受験生の皆さんへ


僕は、音楽大学は、

「習いたい先生」

で選択すべきだと思っています。それが、受験までに習った先生の場合もあるでしょうし、違う結果になることもあるでしょう。

幸い、今東邦に入ってくる人のほとんどが、僕に習うことを選び入ってきている。沖縄は僕の方が後参者なので違うが、でもお互いいい関係でレッスンはなされている。(と僕は思っている)


実は大学で教えているほとんど全ての教師は思っている。

「私に習いたい、という気持ちで大学に入ってくるべきだ」

と。これは受験生にはわかっておいてほしいこと。「イメージでなんとなく大学を選び、配属されたら先生でした。先生のことは演奏も人間もよく知りませんが、よろしくお願いします」というのを望む教師はまずいない。副科じゃあるまいし。

私たち教師は、これを「低い意識」と呼んでいる。


現実は、なんとなくのイメージで選んだり、自宅からの距離やかかるお金で選んだりする受験生、家庭は多いとのこと。

国公立でなければ行きたくない、レベルの高い所で学びたいし、お金のこともあるし、というのはわかります。親の意向も強かったりする。そんな親御さんにもわかっていて欲しい。たとえそうであっても、どんな先生に習うのか知らないで目指すのは、怖くないですか。実は専攻の先生との関係、相性は、学生生活に一番大きな影響があります。演奏やスタイル、スキルに最も反映することなのです。

そんな習う先生不在の選択は、現実的にはとても多いようです。本当にそれで良いのでしょうか?


レッスンの内容という、最もコアなイメージをもたずに進学し、入ってから

「合わないから」

と大学を止めてしまう学生は増えています。内容もそうですが、人間的に合わないとか。悩んでしまい、病んでいったり、場合によっては鬱になっている学生もいます。そういう学生が多いクラスもあるようです。

超現実的な話をしましょう。大学というのは、どこもそれぞれに魅力があり、場合によっては盛り上がってない分野もあったりする。

その上での選択として、どんな楽器、どんな専攻でもAという大学に行けば問題ない、Bにいってもしょうがないといったシンプルなレッテルで語れる話ではありません。

例えば、Aという大学でも、科によって、更に複数いるどの先生に習うかにより雰囲気も求められることも大きく異なります。教育者としてスキルも熱意も高い先生がいればそうでない場合もある。手取り足取りもあれば放任もある。優しい先生もいれば厳しい先生も。明るい先生もいれば暗い先生も。尊敬すべき人もいれば、ハラスメント含め問題がありがちな人も。

そして、あなたが本当にやりたい演奏を尊重し教えてくれる人がいれば違うタイプの人もいる。あなたのコミュニケーションスタイルと合う人もいれば、我慢できないくらい合わない人もいるかもしれない。それでも、先生として相対しなければならない。

だからかつては、受験前にレッスンに通って判断することは当たり前だった。大体地元の先生からの紹介で、信頼のある人へと通ずる道筋があった。今ならオープンキャンパスや体験レッスン等様々あるが、それをかつてより数多く経験した上で、でも大学の雰囲気や家からの距離で選んだりしたりすると聞く。一体大学生活に何を求めているのか?

受験の前に、「この先生の元で」と明確に判断していれば(18才ならできるはず)、自分の選択に責任ももてるので、学ぶことを貫き通すという当たり前のことができるが、そうじゃなくただイメージで選び、大変な思いをしてお金も使って大学に入った後で、「この先生じゃ合わない」 と言い訳と共にある判断になるのは、僕は全くもって勧めない。

大学というのは、専門的に学ぶ場所。少なくとも自分のトロンボーンを伸ばしていける、そう導いてくれる教師の元に行くべきであり、その下調べをするチャンスは設定されています。CDだってYouTubeだってある。


どこの大学に行くのが大事か、これは皆さんにとって大きいことでしょう。ただ同時に、誰に習うかは皆さんが想像するより本当に大きいのです。

親御さん共々、是非有意義な選択をして欲しいと思います。大学なんですから。


N響、オーチャード定期。
ちなみに、僕は東京芸大と国立音大を受けた。理由は、N響の伊藤先生に習いたかったから。留学はベルリンへ行きベルリンフィルのアルントに。僕にとっては常に、最高峰のオーケストラの奏者に習うことが第一義でした。

posted by take at 20:58| 活動報告

2016年05月07日

油の話


恥ずかしい話です。

僕はロータリーの動き、感触、動きと共に発するノイズは結構気にするのに、オイル系は二種類しか使ってなかった。それて、事足りると勝手に思っていた。

バルブやピストンの楽器の方々からすると考えられないでしょうね。スライドにはもちろんこだわってます。ロータリーやボールジョィントの為に、数種類のオイルが設定されていることはもちろん知っていた。しかし、ジェル状の粘度の高いものと、さらさらのオイルだけでなんとかやってきた。

しかしこの歳になって助言をもらい、ようやく三種類に増やすことができました。

スピンドルを足し、ロータリーの軸と管の中とジョイントにて使い分けると、

いいですね!

バックに有りがちなノイズが皆無なのは当たり前ですが、とにかく感触がいい。用もないのに、レバーをずっと押したりしてます。

コルトワ使ってるときの、シリコンの感触にはまってた頃を思い出す。

いや、ホント恥ずかしい話です。


N響練習。

posted by take at 23:01| 活動報告