2016年05月16日

Trb吉川密度


先日の演奏会に、実はトロンボーンを吹く吉川さんという方が聞きに来ていたと聞いた。NTT吹奏楽団の方の知り合い。男性だそう。


「ありゃま!いらっしゃる、吉川さん」


実は僕は、トロンボーン吹きどころか、金管吹きどころか、管楽器吹きどころか、演奏家どころか、音楽家どころか、知り合いにまで、吉川さんがほぼいない人生を歩んできた。親戚は……もちろんいる。

小学校の時、3クラスしかなかったが一人づつ吉川さんがいたことがある。それ以来、吉川さんにはなかなか会えない。

皆さん、ネットやFacebookで検索して、同姓同名を探したことありませんか?

Facebook上には、僕以外7人「よしかわたけのり」さんがいるよう。ただ「吉川武典」はいない。

実は苗字の登録は全国で約11万種類もあるそう。ある調査、その中での吉川は110位らしいので、考えてみたらかなりの多数派。ちなみに109位は水野さん、111は山内さん。どちらも音楽家含め複数の知り合いがいます。

なんで吉川さん、近寄ってこんのやろー?(近寄っていけてないんやろー?)

そんな日常の中での、吉川さん登場、しかもトロンボーンを吹いていると。先日のホールは248席で、実際は220人くらいご来場いただいてたようだが、その中に吉川さんがいた。もっと言えば、トロンボーンを吹く吉川があの空間に二人もいたことになる。少なくとも、世界で最もTrb吉川の密度が高い空間だったのではないだろうか?


お会いしたかったなー。吉川として生きトロンボーンを楽しみ。どんな人生ですか?

僕は………こんな感じです。このブログでほぼわかる、ははは、わかりやすいシンプルな奴でっさあ。


川越へ。

posted by take at 15:30| 活動報告

2016年05月15日

アンコール沸っと!


以前から不思議に思うことがあります。


ジパングやNーcraftsのように、MCを交えながらコンサートを進める場合、プログラムの最後の曲の前に

「この曲で最後ですが、盛大な拍手をいただければ、更にプラスあるかもしれません」

とか、最後の曲が終わり

「ありがとうございます。えー、お約束通り……」

等の『アンコール話』をすると、会場が必ずといっていいほど沸きますよね。沸くのはわかるのですが、大抵笑いもおこる。(爆)だったり。

例えば

「ではアンコールの一曲目…あっ!一曲目って言っちゃった(何曲かあるのバラシちゃった)、てへぺろ!」

なんて、お茶目なミスが笑いのテイストになるのならわかるのですが、ただ普通に

「では、アンコールを……」

なんて言っただけでも起こったりする。


あれ、なんでなんでしょう?


コンサートは聴衆にも緊張感があって、それがアンコールになると解けるんですかね? アンコールを事前に用意していることを演奏家が表明することは、ギャグにうつるんでしょうか? 「ブルータス、お前もアンコール用意してんのか、ははは、期待しとるとは限らんぞよ」ってな気分? アンコールがアルコールやあんこ売るに聞こえるんでしょうか?


一昨日は、実はやらなかった。バッハのシャコンヌの後に演奏できる音楽的な作品が思い浮かばなかったらから。それを真面目に

「次のシャコンヌで終わりですが、実はアンコールを用意してません」

と言っただけで笑いが。

「いつもやる、ア・ソング・フォー・ジャパンも用意してません」

で更なる笑い。

なんで???やるって言っても沸くし、やらないと言っても会場は笑う。

アンコールには、不思議な力がある。誰かわかる人、これまた教えてください。


帰京。NTTレッスン。

posted by take at 22:28| 活動報告

2016年05月14日

幸せになれ!


生徒の結婚式でした。高松では毎回のように一緒に飲んできた女性。

素直で純粋、努力家。音楽に対する憧れの強さの分、守衛より早く大学に来てたなんて伝説も持つ。

多くは喋らないがよく笑う。天然な香りもあり、カナり訛っている。抱え込むところもあるが、時間をかけて打破する力はちゃんともっている。何より優しく礼儀正しい、親切な人物だ。


式場に先に入場してきた新郎が、にやけている。嬉しくてしょうがないのか、緊張ほぐしか。いずれにせよ顔がくしゃくしゃ。厳か感は一瞬でどこかへ行き、がいに親近感が湧く。

その後、父親と共に新婦が入場。な、なんと!新郎と同じ表情やがな!!


「どしたんや!!破顔一笑一緒や!!」


こらこら、バージンロードで、なにいつもと同じ顔で笑笑しとんや。披露宴ならわかるけと、人生の一大………

くだらん心配です。会場中の身内は

「やっぱり、これでこそこの新郎」

「やっぱり、これでこそこの新婦」

と、瞬間で超駑級の祝福感情に包まれました。


夫婦は顔や表情が似てくるという。同じ口の形で笑う新しいカップルを見ながら、

「それにしても似るん、はよないか?」

と思ったが、新婦の可愛い過ぎる笑顔にベタ惚れの新郎の、嬉しくてしょうがない気持ちが形になって現れるなら、そら一緒にもなるか、と思いました。


雲ひとつない空、穏やかで美しい瀬戸内の海に挟まれた、幸せそうな二人は、周りの私たちにも大きな喜びのお裾分けをしてくれました。


かな、幸せになれ!


結婚式。
昨晩のコンサートにお越しくださった皆様、本当にありがとうございました。また聞きたいとの声もいただきました。嬉しく励みになります。これからまた精進して、これらの音楽をより深くし吹いていきたいと思います。

posted by take at 11:27| 活動報告

2016年05月13日

パワー・オブ・アカデミックスタンダード


今回、マルタンとデュティーユ、ヒンデミットを並べてみて感じたことがあります。

今までは、バラバラにやっていた。学生時代は一曲だけ。リサイタルなんかでも、もう少し違うテンションのものとカップリングしていた。トロンボーンのためではない曲とか、歌曲や小品、名曲ならオリジナル性問わず積極的に並べてきた。

いかにもという作品たちを同時に、というのは初めてで。

どういかにもなのかというと、「長きにわたりスタンダードとして取り上げられ続けている音楽的評価の高いオリジナル作品」といういかにも。


ちなみに作曲年代、マルタンとヒンデミットはほぼ同じ1940、41年、デュティーユは1950年と近い。トロンボーンのソロが積極的に書かれ増え始めたころだろうか。

僕が大学に入った1984年頃でも主要のレパートリーだったし、その後曲が増えていくフィールド、皆がやらなくなった曲もある中で、今なおソリストたちの興味を惹き続けている。取り上げる若者も多い。


で、何を感じたかというと、これら音楽大学生からコンクールまで、高い難易度への指標と共にある作品たちには


「力があるなあ」


ということです。吹いていてパワーを感じる。少し硬質なエネルギーというか、力技というか。

心に響く名曲でも、パワーというよりは、情緒や柔らかさ、歌謡性を感じるものもある。

しかしこの三曲に関してアナリーゼをすると、作曲家が音のセレクトに理論、理屈を盛り込んでいるのは明らかであり、その技法にアカデミックさを感じれば感じるほど「なるほどね」と同時に

「よく書けてるなあ」

とつぶやいたりしていた。

実際演奏することになると、その作曲家の狙いをきちんと受け取り体現するには、しっかりと、冷静かつ気合いを入れて吹き込まなければならず、

「歌やいい」

と、気持ちと勢いに委ねればなんとか表現になるというわけではないことがわかる。

その格闘感が、パワーとなって音に内在した後、目に見えないエネルギーとして空間に現れてくるように感じるのです。

練習してみて、ピアノと合わせて、演奏してみて感じるものだが、根本としては楽譜に既に注入されているのでしょう。


作曲家の取り組み、そのいわゆる「渾身」というものが、時空を超えて、現代の私たちの目の前に現れてくるのかもしれない。


そしてさらに数百年遡るが、バッハのシャコンヌからも「楽ではないなにか」がはっきりと感じとれる。


バッハ自身のパワーなのだろう。


そんな力をも感じていただく夜になりそう。とにかくやることに決めた僕は、打ち破れ、負けてしまわないように、最期までステージに立っていなくてはならない。


野方にてリサイタル。

posted by take at 12:53| 活動報告

2016年05月12日

再会


久しく行ってなかった飲み屋へ行く。すみません、飲んでる話ばかりで。

実は以前この場所でも紹介したことあるくらいお気に入り、とてもいい店。

じゃあ、何でいかなくなるの?

ですよね。通ってた店に行かなくなるのにはいくつかの理由、そのパターンがある。 その店の場合はシンプルに接客。

創作料理は、質、オリジナリティ、アピールデザイン、酒ラインナップ、そして被災地支援メニューまで、問題ないどころか魅力に溢れている。そして、板長、料理人が独立、新店舗への流出があったにもかかわらず、クオリティは変わらなかった……造り手とホールスタッフの人間的ムードを除けば。

とても魅力的な店。N響定期が終わり10時を過ぎてからも行って日付が変わるくらいまで、美味しく飲み食いしていたにもかかわらず、行かなくなったのです。そこに変わるくらいの店が他にあるわけでもないのに。

行かなくなる理由はあるんですよ。それまでの居心地が良ければ良いほど、何かが欠けると簡単にもろくも崩れ、足が遠のく。

そして二年くらいか、いかなくなっていた。



久しぶりに行く。義母は美味しい店しか行きたくない人なので、やっぱりここかなと。

店長以外、人は入れ替わっていた。料理もお酒も相変わらず素晴らしかった。会話の何割かは「美味しいね」。やっぱりそうなのだ。


突然声をかけられる。

「吉川さんですよね」

えっ?店員さん、わかるの??

振り替えると、そこに立っていたのは店員ではなく、お客として来ていた女性。彼女は、二年以上前まで通っていた頃にこの店で働いていた女性だった。

男ばかりのこの店で、彼女はとても知的に素晴らしい仕事をこなしていた。接客してくれると随分ほっとしたものだった。結婚し店を辞めたのは知っていた。そして僕らは通うのを辞めるとき、確かに

「彼女いなくなったしねぇ、だからこんな感じの人ばかりになったのかなあ」

と言って飲んでいた。


今日は二才くらいの息子とかつてのお客さんと。なんと店をやめて以来初めてきたのだという。

こちらも興奮して話てしまう。彼女も知った客がいて嬉しそうにしている。

僕らが多分二年ぶりくらい。偶然中の偶然とはいえ、まさか彼女に会えるなんて。

何かに呼ばれたのかもしれない、いや、呼ばれたのだろう。人の力は大きい。出会いも、偶然も、実は人の心や運命をを大きく変える大きなエネルギーと共にある。


また、この店に通えそうだ。


ピアノ合わせ。
明日のコンサート、中野ゼロではなく野方です。皆さんに聞いていただけるのを、本当に楽しみにしています。頑張ります。

posted by take at 23:07| 活動報告