2016年04月06日

自分と長所 自分と短所 その2


以前レッスンでよく、一回吹いてもらった後、

「良かった部分と良くなかった部分を言ってごらん」

と投げていた。すると生徒は100%良くなかった部分からいい始め、しかもためらいなくいくつかの項目を続けて言う。で、良かった部分はというと「無い」とか、考えた末無理やり絞りだしている感じ。日本人はそうなのだと毎回思っていた。

自分で駄目なところはわかっている、というアピールなのかな、と思ったりした。自分がやりたいことを目一杯やろうとして叶わなかったのならこれまたわかるのですが、しかしそういう風に感じられる人はほとんどいなかった。

本当に良かったところは無かったのか? そんなことはない。何をもってして良かったと感じるかのボーダーはそれぞれであり、低く設定したくない気持ちはもちろんわかる。

ただ、そもそもそれ以前に、自分の良いところを見つめようとしていないようにも見えたのです。


これはそっくりそのまま、「自分の長所を見つめない」ということと同義である。

自分の長所を意識しなかったとして、本当に自分らしいアピールというのはできるものだろうか?


もし、総じて技術が向上した日本人が、未だやはり没個性と評価される部分があるとすれば、この

「自分の長所を理解したり意識したりする力が弱い。そもそもしようとしていない」

ことに原因がないだろうか。一億三千万総気にしぃの日本人だから、自己愛的に「俺ってここが素晴らしいって思ってる」と思われるのは具合が悪いのでしょう。それよりは、「自分はここの具合が悪いと分かっています」と、卑下した表現の方が、自分の評価として安全に感じがちだ。


実は人間性の話だと、自分を高めに評価していたりする。ほとんどの人が、対外的実像より1.5倍くらいイケてる自分だと思っていると聞いたことがあります。そう思わないとやってけないのかもしれないが、そのおかげで、積極的にうまくコミュニケーションが出来ている場面は山のようにある。つまり、自分を潜在的に「良い」と思うことでアピールができ、結果自分の長所も育てていけるパターン。


演奏はどうだろうか?

駄目なところ、つまり短所を正確に判断し改善していくことはもちろんやらなければならないことでしょう。

しかし同時に、自分の長所を更に魅力的なものになるように育てていくというのは、実はとても大切なことだと思います。もしかしたら、そのアプローチこそが様々な短所を改善していく力になるかもしれない。

その為には、まずは自分の長所をある程度正確に理解することが大事。実は、勘違いにならないように正確にというのは、けっこう難しかったりする。そのことに関してはまた明日書きます。


ひとつ言えることは、名手と言われる人は、もれなく長所が目立っているということ。現代らしくオールマイティーさはあったりするが、それでも明らかに目立っている。


川越へ。

posted by take at 19:19| 活動報告