2016年04月20日

コンディション その2


コンディションについてですが、最近今までにない意識があります。それは、


「やっぱり、昨日の内容が今日に影響している」


ということ。どんなにベテランになっても。

長いスパンで見れば、どんどん上達してきたとか、理解が深まってきたとか、この時期は良かった、この頃は良くなかったなど、いろいろ振り返ることができる。しかしとても短いスパンとして、

「今日には昨日が影響する」

は、いつの時も、そしていつまで経ってもあるようです。


僕はN響にて、テナーとバスのベクセルン(持ち替え)を担当している。若い頃より随分違和感が少なくなったとはいえ、未だに前日バスを吹いた影響は翌日にはっきりとある。

連日バスを吹くならよりバスらしいサウンドになるし、同時にテナーは独特の吹き心地になる。テナーだけ吹いている時期とは違い、全てにおいて自由に、楽にとはいかなくなる。

つまり、スキル全体としては長い時間かけて上がっていってるのだろうが、どんなに上手くなれたとしても、前の日次第で今日が定まってくる。


前の日ハードに吹きすぎると、今日は疲れが残っている。

なんだか調子がいいと、期待しすぎてさほどではない自分に過小評価が始まる。

あまり調子良くないと、意外に吹ける自分に嬉しくなり上向きにやる気がでたりする。

適度に真面目な練習をすると、気持ちにもプレーにも成果として残っている。

それまでの過労を回復すべく休んだとしたら、身体も気持ちもほどよくポテンシャルに溢れている。

ただただサボって吹かなかっただけなら、一昨日より出来ないことが増えている。


ワーグナーをやってても思いました。とても長い作品なので、一日一幕だけの練習だったり、間に一日二日休みが入ったり。すると、やはり前の日にやったことはあっという間に積み重ねの成果を感じることができるが、数日ぶりに取り組むと様々なことに時間がかかる。同じメンバーで、同じ作曲家の曲をやっててもそう。

何回寝たかは大きいし、一回しか寝てないも大きい。

私たちは毎日、今日のコンディションこそが大事だ。しかし、明日の状態を優先したとして、今日やっていることがやっぱり影響するのだとしたら、その為に今何をするべきなんだろう?少なくとも、マイナスになることは残したくないし、逆に良い積み重ねのために、きちんとトレーニングすることは大切ですね。

昨日までのものより、今日こそが明日に残るなら、明日以降に大切なのも、やっぱり

「今でしょ!!」


N響定期練習。川越へ。

posted by take at 14:17| 活動報告

2016年04月19日

コンディション その1


楽聖から、コンディションについて聞かれた。

調子の良い日もあれば悪い日もある。調子が良い時期があれば悪い時期もある。どう対処すれば良いのでしょうか?

だよね。きっと最近調子がいまいちなんだろうね。だから聞いてきた。

調子が良い日というのは、とにかく気持ちよく吹ける日。自然に良い音が出る。息の流れもスムーズ。この感じでずっといければどんどん上手くなれる気がする。そんな日。

調子が悪い日というのは、何故だかわからないが吹きにくい。息がスムーズに流れない。力む。無駄に息を使う。自分ってこんな実力だったのかと自己嫌悪に陥る。昨日までの素晴らしいトロンボーン生活も実は駄目な時間で、自分で気づいてなかっただけなのかもと、全く不正確に自虐的感覚に包まれる。そんな日。

体調と同じで一定を保つのは不可能なくらい難しい。

身体は、元気だと精神が喜びをもって酷使する。当然疲れていくが、最中は気づかない。ある程度いって感じ始め、ついにはピークに達し休まざるをえなくなる。そして当然のように自動的に快復したその暁には、無自覚にそうしたくて再び酷使する。

そりゃ一定を保つのは難しいです。

何故だかわからないと書いときながら、実は楽器の調子が悪いのには、必ず原因あります。

日常生活そのものに気力が出ない時期である。目標を見失っている。単純に体調が悪い。実は風邪ひいちゃってる。ここ最近寝不足だ。実は唇が荒れている。口内炎が出来ている。自覚できないような喉の方にもできてたりする。それでも筋肉の使い方には影響がある。ここ最近、あることにこだわった練習をし過ぎてきた。あまり丁寧な音だしができていない。楽器がへたってきてる。オイルやグリス不足。ゴムが固くなったり穴空いたり。練習している環境がそもそも頑張ってもいい音がしておらず、それを自分のせいにして落ち込み気味。人に言われたことを気にしてしまっている。練習しようしようと思いながら夜になってしまっている。目指す本番が無かったりする。昨日が調子良すぎて、今日の自分への期待値がえらく高くなっている…………


僕は若い頃、やはりコンディションムラが激しかった。なんとか「調子いい日ばかりにならないかなあ」と思ってました。

まず、これをやればある程度同じようにほぐれ振動する、というウォームアップルーティンを必ずやることですね。最初こそ丁寧に。

そして、体調か楽器のどちらかが悪い、悪いのは自分ではない(怠けているとか能力とか、スキルや精神のせいではなく)と、絶対開き直る。僕はよく楽器のせいにします。で、オイル注したりゴム変えたり。少しでも変わったら、喜んで「やっぱり楽器のせいだった」と頭と心でスキップする。

ロングトーンではなく、グリッサンドとリップスラーをたくさんする。バズィングからもう一度ルーティンをやってみる。

いい音がわからなくなってきたら、トロンボーンはじめお気に入りのCDを聞いて、サウンドイメージリフレッシュする。

アンサンブルしてみる。人の力を借りて上向きに。

とにかく連日八時間以上寝てみる。

チョコレートを食べてみる。

それでも駄目なら、楽器を片付け飲みに行く。明日また練習すりゃいいんだから。

それでも駄目なら、

………旅に出る。


N響定期練習。
絶対良くなるよ。だから続けられてるんだから。

posted by take at 19:18| 活動報告

2016年04月18日

感心か感動か


皆さんは自分の演奏でもって、聞いた人に感心してもらいたいですか?それとも感動してもらいたいですか?

「うまいなあ」「凄いなあ」は感心ですね。

感動はなんだか言葉にならない。気がついたら身体がぞわぞわし場合によっては涙が溢れる。

「綺麗だなあ」「カッコいいなあ」は、感心だが半分感動もしていそう。



「両方を望みます」という人は大変に立派だと思う。まさに感心します。欲張りとも言えるが、しかし高い理想は持つべきです。

どちらかに特化してたとしても、それはそれで素晴らしい。人間性により、求める評価の質、感じてほしいことも様々でしょう。それも個性といえますね。


実は、それぞれの成果を獲るためにしなければならないこと、そのタイプは違うと思います。


既存とは違うアイデア、演出、速い遅いや大小などのレベルに対して突き抜けてみる。そして刺激と変化を求め、考え、計算し、トレーニングした場合、大いなる感心を生む可能性はある。

しかし感動は生まれない気がします。


感動というのは、いつどこで起こるのかは誰にもわからない。どうやったら起こるのかも、正直わからない。誰にも計算できない、ある意味偶然の産物のような気がします。それがわかるなら、きちんとしたノウハウがあるなら、もっともっと日常的に感動する機会は多いでしょう。演奏家にせよ作曲家にせよ、映画監督にせよ小説家にせよ、出すもの出すもの感動作になる。


ただ、取り組みとしては

「真摯に積み重ねることを継続する」

というのは、絶対条件な気がします。

その部分において、感心を生むプロセスと感動を生む取り組みには、はっきりとした違いがあるのだと思います。


川越へ。

posted by take at 17:55| 活動報告

2016年04月17日

飴ムチ味の魅力


沖縄でのランチは大体四軒に絞られている。

量がはんぱない食堂『あかばなー』。美味しい沖縄そば屋『名前忘れた』。学生たちお気に入りのカレー屋『ポケットマーニー』。そして、僕と行きはじめて学生も通い始めたスープカレー屋『あじとや』

特に『あじとや』は僕が気に入ってしまい、「いーいー」言ってるので、楽聖は必ず一日は連れてってくれる。(車で五分くらい)

黒糖カレーという個性的な店。軟骨ソーキカレー、あぐー豚ソーセージカレー、ゴーヤも入った野菜カレーなど、沖縄の食材がふんだんに使われたスープカレーのラインナップと、同様バリエーションのキーマカレーの二本柱。カレーそのものの味がとても魅力的で、黒糖とスパイスの甘味とコク、刺激がなんともいえずストライク。ご飯は一回のみおかわり自由。ただ、自分で炊飯器から好きなだけサフランライスをよそえるという、楽しすぎるサービスも若者たちの胃袋をしっかりゲット。

で、ユニークなのが辛さのレベルで、0から100まであるのですが、50までは5段階刻み、そっから上は10毎と随分細かい。ただ、店のオススメは15〜30となっているので、初めての時は25でいってみた。

まだ数値的には前半なのに

「じ、充分辛いがな!」

ただ嫌な辛さではなく、うま味とのコラボが絶妙。

で楽聖たちも皆口々に「思ったより辛い」と言うので、行く度に5ずつレベルを下げていった。ところが、最終的に10までいったのにそれでも結構辛い。

「これレベルあんまり関係なく辛いよね」

もちろん辛味成分の量は変えているのだろうが、ちょっとでも入っている段階ですでに辛いようだ。それでも回数重ねるうちに慣れてきて、その刺激にもはまってきた。

今回はチャレンジャーな楽聖もおり、四人は、70,50,10,0とバラエティー。僕も初心に帰り25でいってみた。

50のスープを一口もらう。口に入れた瞬間

“ビリビリビリッ”(*_*)

と、激しく刺激を感じる。なんだかそれも一瞬魅力的に感じたが、一口だけだったからなー。案の定食べてる楽聖は、すぐにヒーヒーいってる。

たけ「唐辛子の刺激は辛味じゃなく痛みらしいからね」

「50ですでに、カレーのうま味自体はわかりにくくなってます」

70をいったのも同じ感想。超辛味マニア用ですね。

0を初めて食べている女子がいつもよりスプーンの進みが遅い。

たけ「0って少しは辛いの?」

「いえ、全く辛くないです。でも甘いだけだと飽きるのも早いんですね」

なるほど。黒糖や素材の甘味、これ自体がこのカレーのうま味だと思うのだが、それオンリーだと進みにくくなるよう。適度な辛さ、香辛料の刺激があって食欲に勢いがつくのでしょう。そして辛さが強くなりすぎると、今度はうま味がわからなくなる。

「だから、店のオススメはあの範囲なんだね」


この店に限らず、カレーがとにかく量いけちゃうのは、この飴とムチ的な要素かもしれない。

そういや麻婆なんか含め、甘辛い味のってけっこう勢いついちゃうもんね。


NTTレッスン。ブロカート。

posted by take at 23:16| 活動報告

2016年04月16日

自分の吹きたいように吹くこと


レッスン中に、自分の演奏ビデオをプレイバックして見聞きした生徒が、ぼそりとつぶやいた。


「先生、自分の吹きたいように吹いたんじゃ駄目なんですね」


誠にその通り。この言葉は、僕の心に深く残ることとなった。


普通に考えたら、肯定するのはおかしく感じるだろう。何を言ってるの!自分の吹きたいように吹くことこそ大事じゃないか、という人がほとんどだと思う。

実はこの言葉の中にある「駄目」という部分に奥行きがある。

これは、「今の私が自分の吹きたいように吹いただけだと、希望通りには聞こえてないのですね」という意味で言っている。


全てのジャンルのプロフェッショナルに通じることだと思います。専門に学んでない人が、完成品のクオリティに憧れ、イメージだけでやりたいようにやると、まず100%違うものしか表現できない。

そこから、自分のやりたいようにではなく、演奏ならどう聞こえたいか、そのためにやらなければならないことは何か、に転じていかなくてはならない。

実は、転じることができないままずっとトレーニング、マイナーチェンジを繰り返している人は多い。

なぜ転じれないか。

それは、やはり自分の吹きたいように吹きたいからであり、その吹き方を変えることは自らを否定することになるから。

しかしそうシフトチェンジし、つまり自分の演奏を聞く人の立場に“本気で”なり、やり方を変え、それに慣れていき、ゆくゆくはそのやり方こそが「自分の吹きたいよう」になる。

この入り口に立った人の言葉として、重みと深みをもって、心に響くことになったのです。


そういう意味で

「君はまだ、自分の吹きたいように吹いているでしょ」

と投げ掛けることにもなります。


沖縄県芸、レッスン。帰京。

posted by take at 23:09| 活動報告