2016年04月30日

焼き鳥狂詩曲


毎年二日間の学祭、両日共焼き鳥を焼くのですが、初日にとにかく売りまくり、場合によっては二日めの仕入れ分まで手をつける。だいたい初日二日めで、2対1くらいの割合でいけるところまでいき、年によっては早めに売り切ることもできたりする。

しかし今年は、初日にまるで売れなかったため、一日で二日分を焼くことになる。というか、そういう指令を出す。

「おまんら、頑張って焼ききるのぢゃあ」

朝、この春卒業した楽聖、昨年の店長から二階級昇進した「名誉オーナー」の前髪が派手に焦げてしまう事件からスタート。ガスは一台づつ火をつけ、顔を近寄せすぎるのはやめましょう。

しかしこの手慣れた卒業生の的確な仕切りにより、何もわかってないはずの新入生が、まことに機敏に生産性の高い仕事をてきぱきてきぱき。指示まち君ではなく、自らが判断し動く賢い新入生ズなので、とても焼き鳥屋ビギナーとは思えない仕事っぷりに、たた後ろでエラソーに座っている僕も、ただ後ろでエラソーに座っているだけですんだ。

そんな楽聖とは対極、食べてるか飲んでるか演奏聞いてるかだけの生産性の全く無い先生が、夕刻オーケストラの演奏を聞き終わりホールを出ると、もう彼らは模擬店を撤収していた。


「先生、売り切りました」

な、なに〜〜〜〜〜っ!素晴らしいやないかっ!!

あれだけの量の焼き鳥を解凍し、あれだけの量の焼き鳥に下味をつけ、あれだけの量の焼き鳥を焼き、そして全てを売り切ったのかっ!!!

焼けばできるぢゃないかっ!!!!!


なんて素晴らしいやつらなんだ。もちろんOB、OGたちの協力、フレンズコメジの手伝いもあっての偉業に「ムギョウ!!」、素晴らしいチームワークだが、それにしても物凄い量の仕入れだったのだ。

おそらく六時間以上、ずっと焼き続けた彼ら。焼き鳥がとても美味しく人々の舌と胃袋の幸せに貢献したのだとしたら、そんな鶏肉を焼いたのは、彼らの情熱という価値あるホットな火なのだろう。

名誉オーナーの前髪、オマヌ毛大ボ毛を焼いたのは、スットコドッコイなオッパッ火゜ーです。


東邦祭、二日目。

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2016年04月29日

アーノルディックノスタルジー


今日明日と大学の学園祭です。季節外れですが、東邦はずっとこの時期。これを経験して、新入生も一気に馴染みます。

今日は晴天なのに風が強く、なんと火の使用は禁止となり、焼き鳥一本も売れず。初めてです、そんなこと。

だからというわけではないが、学生たちの演奏をはしごしてみました。来年の春卒業する楽聖は、東邦祭での演奏は最期になる。ちょっぴり特別な思いで聞く。


夕方最後の金管五重奏コンサート、アーノルドの一番が聞けた。

聞き始めた瞬間、ノスタルジック含め、とても独特な気分に包まれました。もしかしたら、この曲の生演奏を聞くのは初めてかもしれない。

僕自身は過去二回だけ演奏経験がある。二十代の頃に一回、Nーcraftsでも一回だけ7,8年前に。高い人気と実力を兼ね備えた「ザ・金五オリジナル」なので、二回は少ないかな、というイメージです。

やっていた時は、難易度の高さと複雑なアンサンブルに苦労し、聞きながら楽しんでいた気分とは随分かけ離れたのを覚えている。ので、今回のメンタルは更に以前、中高生時、レコードを聴きながら憧れていた時の産物だと思った。


第一楽章を聞きながら、その洗練かつ内向的な世界観に、心から浸ることができた。独特の魅力。カッコヨク感傷的だが、控え目な上品さがたまらない。

イギリスのスタンスらしいバランスの良い洗練は、演歌を愛するジャパニーズトロンボーン吹きにとっては無い物ねだりになるのかもしれない。


この素敵な大人の音楽、若い楽聖の演奏を聴きながら、

作品に憧れ、演奏できることに憧れ、プロフェッショナルな演奏家の生き方に憧れ、そして何より音楽そのものに強く憧れていたあの頃

まだ自分の人生がどうなるか欠片もわかってなかったし、ただただ不安定だけど人一倍憧れと共に一生懸命生きていた、気がつくと、そんな10代の自分に戻りながらアーノルドの世界に浸っていました。


東邦祭、初日。

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2016年04月28日

我が非


あるドラマで印象に残るセリフが。

不正を続けてきた組合の委員長が解雇を不当とし、会社重役の主人公に我を見失い掴みかかった瞬間、彼に向かって放たれた言葉


「おまえの一番駄目なのは、自分の非がわからないところだ」


……なかなかに唸ってしまいました。

「自分の非を認めない」というのはメジャーですね。私たちは他人のことだとよくわかる。

「彼は自分がいかんことをしているのをわかっていながら、それを認めない」

と思ってたりする。しかしわかっていながらではなく、そもそもわかってないのだとしたら……

自分自身もそう。自分の駄目なところはわかっているつもりで生きていたりする。しかしそもそもわかってないのだとしたら、これはとても大変なことだし、険しい道のりとなる。

小さなあかんは沢山あるとして、最悪逮捕され、最悪有罪判決がでて、最悪それが極刑だったとして初めて気がつくか、もしくはそれでも気がつけないのか。

当人が、「いかんことではない」という意識からスタートしてるかどうかはこれまた疑問。最初は出来心、最初はちょっとした保身。しかし嘘は必ず重ねることになり、そのうち自分で「正しいこと」にすり替えないと、精神が保てなくなる。

まさしく自分の非がわからなくなるプロセスを辿り、反正義、反正統的な価値観で自分を充たさないと生きていけなくなる。

実際、社会的制裁を受けた人でも、「記憶にない」発言ばかりか、自分に都合の良いように言い訳を作り近しい人たちに信じさせ、二重に騙し二重に迷惑をかけて自分を保とうとするパターンもある。

世の中には、そんな個人的好都合虚偽が山のように横行してたりするのでしょう。

そんな人が一番駄目なのは、言っている内容、やっていることはもちろんだが、やはり根っこは

「自分の非がわからなくなるくらい、自分本意でしか生きてこられなかった」

という部分だろう。

こんなこと書いてたら信じてもらえないかもしれないが、僕は「白黒はっきりさせたい」という自分ではないと思ってます。グレーゾーンとの共生が人間らしいと思ってますし、そんな幅のある社会がいいなあと思っている。

ただ、自分の非はわかる人間でいたい。でないと、人に迷惑かけてても気がつかないし、嫌われていても気がつけないわけだし。

それは、最も恐ろしいことのひとつで、どうしても開き直ることはできない。


ピアノ合わせ。N響定期。

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2016年04月27日

自分が不思議


やっぱり不思議でしょうがない。これ本当の話です。

以前書きましたが、僕は若い頃のある時期、毎日起きなければならない時間がまちまちなのに、必ず目覚ましの1分前、2分前、5分前とかに目が覚めていた。ずっとじゃないし毎日でもないけど、そんな日が多くて不思議でしょうがなかった。


実は最近もそうなのです。旅とか大学へ早く行く日以外は大抵決まった時間に起きてるのだが、やはり様々セットした時刻の、特に

「2分前」

に、ふと起きることが多い。ふと起きてふと目覚ましを見ると、

「やっぱり直前だ………」

何故でしょうか? 僕みたいな人います?

もちろん寝つく時間は毎日違います。夜中はトイレ含め平均二回ほど起きてるかなあ。その時間もいろいろ……

なのになんで???


N響定期。

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2016年04月26日

ビジュアル系ブログ

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N響の練習が終わり、あまりに天気と風が気持ちいいので、いつも定期が終わってから飲んで帰る目黒川沿いのキリンシティで、外ビールをすることにした。

特に立派なことは何もしてないが、自分に無理矢理ご褒美である。

まだ陽が高いうちに外のビールを写真におさめることもなかなかないので、今日は世の中に向けて自慢の気持ちも込めてアップし、ブログをビジュアル系にしようと思う。


我、庶民である。


N響定期練習。

posted by take at 19:29| 活動報告