2016年03月22日

品川妄想倶楽部


僕は妄想好きです。

なんて書くと、「こいつ変態じゃないか」というイメージが沸き上がりますね。日本語の『妄想』からは、スケベだったり、現実逃避だったり、何かしらの危うさがそれこそ妄想されるのでしょう。『瞑想』になると、途端に上品かつ価値ある取り組みに感じる。神すら見えたり。

「瞑想する人を妄想する」

う〜ん、どうでしょう。上がったり下がったり。


では、『イメージ』というのはどうでしょう。イメージを持つ。私たち演奏の世界のみならず、様々な分野で最も大切なこと。イメージなくしてクリエイトなしである。

妄想という言葉を調べると、

【妄想(もうそう、delusion)とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(むしろ病識がない)場合が多い】

とある。非合理的というのはジャンルを選びそうだが、既存を超える産物、超える自分を望みイメージすることと、妄想はさほど違わない気がするのは僕だけでしょうか。

本人には、妄想という認識がないから、非現実的と決めつけず求めることができるのだとしたら、必要なイメージともいえませんかね。「強引gマイイェイ!」


インターネットもゲームもアウトプット的情報量や魅力が超多く、インプットするこちら、1日MAX24時間でも許容しきれないほどの溢れ出方だ。よって携わってるだけで、こちらが想像力ゼロでも時は流れる。

僕が子供の頃、テレビは半分悪者に扱われることもあった。目が悪くなるという理由のもと、「1日〇〇分まで」との制約があったが、実は

「ずっと見てるだけだとバカになる。何も考えずに見てられるから」

というのが根っこにあった。親たちはその魅力を認めながらも、まことしやかにそう言って子供に勧めない姿勢を示していた。(読書はずっと奨励され続けている)昭和はそうだった。

ゲームはともかく、インターネットはそこまでの悪者ではない。多くの知識や情報が簡単に手に入れられること、世界と繋がれることは、逆に人生を豊かにしてくれることになっている。

ただ、妄想をMAXできる時とは、自分と外の世界を遮断した時であり、とにかく自分の希望や夢とだけ向き合っている時。僕にとってはとても必要な時間です。


若者たちの恋愛離れ。「今は恋愛はいいんです」は、恋愛の前段階に無条件に派生する

「妄想タイム」

が少ないからかもしれませんね。



横須賀海上自衛隊レッスン。

posted by take at 22:14| 活動報告