2016年03月26日

息もいろいろ


ジークフリートの二幕になると、一番上手側にいたチューバの池田君が雛壇のセンターへと移動しました。下手に配置するホルンの後列にいるワーグナーチューバたちとのアンサンブルのためです。

ワーグナーの時は、一番大きなB♭管を使う彼。構えると、いつもと違い左向きのベルがこちらに向く。

「でかいなあ……」

近くにいるトランペットやホルンと比べても、異様に楽器がでかく、そのベルはブラックホールの穴のように見える。マッピもがいにでかいがな。

で、結構大きな音量で息の長いフレーズをノンブレスで吹いている。

「あんなにでかいカップに、僕らがあの感じのサウンドのために吹き込んだら、多分一秒しかロングトーンでけんよ。スロートもでかいし。ということは、凄く息の量が少ないか、スピードが遅いかどっちかやな」

実際そうでしょうね。フォルテひとつをそれなりにロングトーンするとき、

トランペットなら、遠くの敵に向けて吹き矢をプッッ!!! てな速さ。

ホルンなら、バースデーケーキのろうそくを吹き消す感じ。

トロンボーンなら、味噌汁さまし、

チューバなら真冬のかじかんだ手を温めているくらいかもしれない。


同じ金管、同じフォルテでも、実際やることは結構違いますね。


ジークフリート練習。

posted by take at 15:19| 活動報告

2016年03月25日

大きな演奏


昨日は、丸一日陸上自衛隊音楽隊の方々のレッスンでした。

北は旭川から南は那覇まで、日本全国から集まったトロンボーンの皆さん、総勢17人を早朝から夜まで個人レッスン。

課題曲を決めてくれとのことで、テナーもバスもピアノ伴奏付きとの話だったので、ギルマンを用意してもらいました。

皆さん、さすが職業演奏自衛官としてのキャリアとスキルが、サウンドと仕上がりに溢れています。音が未開拓とか、さらいきれてないという印象はなく、楽しく向き合わせてもらいました。

1人30分しか聞けないとのことで、普段のレッスンスタイル同様ビデオを持ち込み、インパクトが強く、かつ一方通行的ベクトルにならない内容を目指しました。

まず、最初からカデンツァまで吹いてもらい、続けて僕が吹き一緒に見る。自らが気づいたことをもう一度試し、アレグロでも同様のアプローチを。

もしかしたら、画一的な内容になるかもと心配したのですが、全くの危惧に終わりました。

プレイヤーの皆さんは、各々が光っており、それぞれの課題も個性的でした。故に、ピックアップして投げる問題提議も、多岐にわたることに。

受講していない奏者、幹部の方々も多数がずっと聴講されていたのですが、おそらく退屈はなさらなかったと思うし、そう信じたい。


僕は、計17回ギルマンを吹いたのですが、途中何回かはその人の課題に合わせて、誇張したテーマを盛り込みパフォームしてみた。

身体の外見だけでなく、中身も(特に下半身)が固まっているように感じた人に 「動きながら吹いてみましょうか」 というアプローチをしてみた。同時に、自分が吹く時も

「じゃあ、もの凄く動きながら吹いてみますね」

と。まあこれは、お手のものというか、逆に止まって吹けない僕なので、いつものを派手目にやればよいだけで、違和感ゼロ。


少し表現が大人しい方の時は

「じゃあ、もの凄くテンション高めで吹いてみますね」

結果は……吹き終わる前から赤面状態で、終わった瞬間

「す、すみません。これは恥ずかしい。参考になりませんね」

と叫んでしまった。


ある瞬間、僕自身にとてもエキサイティングな気付きが訪れるタイミングがありました。

世界観が狭く感じた人に対して

「じゃあ今から、とても大きな演奏をしてみます。音量の話じゃありません。空間に広がる世界観の大きさのことです」

演奏しながらも、し終わってからも、とても感じることが多く収穫が感じられるアプローチになり、僕が得した気分。

先日の海上しかり、自衛隊の方々とお付き合いするのは、本当に楽しく充実した時間です。

打ち上げも、真面目不真面目大盛りではっちゃけ、和光市の夜は更けていきました。


N響、ジークフリート練習。

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2016年03月24日

タクシー運ちゃん物語2016


高松でタクシーに乗った時の話。

「私も一高の卒業なんですよ」

運ちゃん、僕より10歳年上だそうで、昭和45年辺りの入学となるようです。

「わたしの頃やあれですよ、男のズボンは黒やったらジーンズでもなんでもよかったんですよ。今や考えられんけどのぉ。で、三時間目と四時間目の後にそれぞれ40分休憩があって、三時間目の後に早弁して、また直ぐにお腹すくけん四時間目の後に外へ食べに行っきょったんですよ、お好み焼き。それが今やったら考えられんけどせんせと一緒に行くんですわ。職員室行って「せんせ、お好み焼き食べにいこー」ゆーて。一高の前の道、お好み焼き屋よっけあってなぁ。あの頃は、喫茶店もボーリングも映画もお好み焼きも、どこへ行ってもよかったんや。で、仲えーせんせといっきょったんや。今や考えられんわー。そのせんせのこと、みんなであだ名で呼ぶんやけど、本人に向かってもまんまあだ名で呼っびょった。えー時代やったわ。私の卒業した直ぐ後に、問題起こしたんがおって一気にきびしーなってしもたんやけど」

いろんな意味で驚きましたが、今とは違う信頼ありきのスタンスに、少なからず羨ましさを感じながらの車内となりました。



今月8日、東邦のトロンボーンアンサンブルの打ち上げは、おおいに盛り上がった。

で、結局電車のある時間には帰れず、聞きに来てくれていた東邦フレンズの今込君とタクシーで帰ることとなった。

それなりに長距離。多分40分以上は乗ったと思う。今込君もうちの近くなので、あれやこれや長々と話しながらの旅。酔っぱらいの常で話した内容のディティールはほとんど記憶にないが、多分頑張った楽聖たちを称えながら、更なる希望や展望、様々なハードルに対しての取り組みなんかを話してたんだと思う。

今込君が先に降り、更に走り我が家へ。いつもの目黒川沿いで停めてもらい降りる。

すると、なぜだか運ちゃん(若めのおっちゃん)も降りてきて

「あのー、お話し聞きながら、凄く感動しました。是非頑張ってください」

と、握手を求められた。

実はその時点で内容の記憶を辿るのが困難なほどよっぱっぷーだったので、何を言って感動していただいたのか、僕は何を頑張らなければならないのかがわからなかったのだが、

「あ、はあ、どうも……」

と頭を下げ、千鳥あんよで家を目指した。

もちろん悪い気はしなかったが、想定外すぎてきちんと対応できないよっぱっぷりが、少々恥ずかしかった夜になりました。


陸上自衛隊、レッスン。

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2016年03月23日

怒る 怒らない?


先日、ある教育の現場で

「今は、一切怒っちゃだめなんですよ。直ぐハラメントになるし、本人閉ざしちゃうし。一回閉ざすと絶対開かないし。場合によっちゃやめちゅうし。だからもう、優しく優しくですよ」

と聞いた。

「そんな人、やめてもいいんじゃん」というのは、今どきは駄目なんですよね。でも、そんな人も、一切怒られたくないのかどうかは実は疑問である。今度聞いてみようかな?絶対怒られたくないかどうか。


できないから教育の現場に来てるわけなので、出来ないこと自体は責めるのは駄目なのかもしれない。

ただ、出来ないじゃなくやらないとか、変わろうとしないとか、何でここに来てるのかがはっきりしてないとか、集中しないとか、とにかく

「せっかく習いにきて、変わるチャンスなのに、なんだか無駄にしているみたいに見える」

人は、怒ってもいいんじゃないでしょうか。

怒り方大事ですね。優しく怒る。言葉柔らかくという意味じゃなく優しく。

とにかく、相手が変わらないのがその人の人生においてもったいないと思えれば、的確な怒り方ができるのかもしれません。

「怒らないと相手を変えられないのは、教師としての能力が無いのだ」

という意見もありますが、やはり「人は怒るものだ」と学ぶことも大事だと思います。

今はこんな時代になったから全く怒らないというのは、極端過ぎて、それもなんだか怒られそうで………


レッスン。

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2016年03月22日

品川妄想倶楽部


僕は妄想好きです。

なんて書くと、「こいつ変態じゃないか」というイメージが沸き上がりますね。日本語の『妄想』からは、スケベだったり、現実逃避だったり、何かしらの危うさがそれこそ妄想されるのでしょう。『瞑想』になると、途端に上品かつ価値ある取り組みに感じる。神すら見えたり。

「瞑想する人を妄想する」

う〜ん、どうでしょう。上がったり下がったり。


では、『イメージ』というのはどうでしょう。イメージを持つ。私たち演奏の世界のみならず、様々な分野で最も大切なこと。イメージなくしてクリエイトなしである。

妄想という言葉を調べると、

【妄想(もうそう、delusion)とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(むしろ病識がない)場合が多い】

とある。非合理的というのはジャンルを選びそうだが、既存を超える産物、超える自分を望みイメージすることと、妄想はさほど違わない気がするのは僕だけでしょうか。

本人には、妄想という認識がないから、非現実的と決めつけず求めることができるのだとしたら、必要なイメージともいえませんかね。「強引gマイイェイ!」


インターネットもゲームもアウトプット的情報量や魅力が超多く、インプットするこちら、1日MAX24時間でも許容しきれないほどの溢れ出方だ。よって携わってるだけで、こちらが想像力ゼロでも時は流れる。

僕が子供の頃、テレビは半分悪者に扱われることもあった。目が悪くなるという理由のもと、「1日〇〇分まで」との制約があったが、実は

「ずっと見てるだけだとバカになる。何も考えずに見てられるから」

というのが根っこにあった。親たちはその魅力を認めながらも、まことしやかにそう言って子供に勧めない姿勢を示していた。(読書はずっと奨励され続けている)昭和はそうだった。

ゲームはともかく、インターネットはそこまでの悪者ではない。多くの知識や情報が簡単に手に入れられること、世界と繋がれることは、逆に人生を豊かにしてくれることになっている。

ただ、妄想をMAXできる時とは、自分と外の世界を遮断した時であり、とにかく自分の希望や夢とだけ向き合っている時。僕にとってはとても必要な時間です。


若者たちの恋愛離れ。「今は恋愛はいいんです」は、恋愛の前段階に無条件に派生する

「妄想タイム」

が少ないからかもしれませんね。



横須賀海上自衛隊レッスン。

posted by take at 22:14| 活動報告