2016年02月08日

さんまの泳ぎ方


さんまが

「笑いのツボて、わからんわー」

と言っていたのが忘れられない。あんなにみんなを笑わせ続けて、認められている人の言葉だけに深い。日常的に “ひとつでも多く笑いをとりたい”と思っているお笑いトーシロの僕でも、その難しさを感じる瞬間は多い。

何気に発した発言で不意に爆笑がおこることがあり、そっか、これでいいのかと別のタイミングで使って小笑、中笑、失笑になることも。

とにかく、笑いが発生するべき様々な流れが必要。その場の空気やテンション、居合わせる構成員のあったまり方、覚め方、続いてきた話題の内容。そして、さりげない自然な流れでその時がくること。

ひとつわかってきたこと。このブログもそうなのですが、ウケようと考え考え狙ってみると空振りで、なんとなく“スイスイスーダラダッタ”といったら、本人の意以上に好評だったりする。

やはり自然にポンと流れの中に放り込むこと、大事すね。それまでの周りの会話に聞き手、発し手としてよく参加し、流れ、空気感を無意識に理解、持ち前のサービス精神がフワッと多目にわいた時に、口から自然と出ることが大事。周りからは、こちらの表情も見えているので、意気込んじゃだめ。相手の期待値を上げたり、時間の流れを止めるような顔つきをしたら、いくら過去に成功したネタ、考えついた笑い玉でも、人の腹筋はあまり震えなくなる。

そう考えると、考えられ生み出されたネタを駆使する漫才やコントは、本当に凄い。体験回数を重ねると、見る人の期待値の上昇に合わせて飽きられる可能性は高いが、やはり瞬発的爆発力が強いものは、腹筋振動率を上げ、賞味回数値も高くなる。

僕も何回か経験があるが、新喜劇含めライブ会場がいいのは、こちらが自分の意思で笑いに行っていること、周り中が爆笑を続けることで、そんな欲求体があったまりまくり、ちょっとのことでも直ぐ笑い線が震えるようになること。


前出のさんま。華丸大吉にさんまのまんまで披露されていた話に、ひとつのやり口、真実を感じます。

キャバクラで、五時間喋りっ放しだったそうなのですが、入れ代わり立ち代わるキャバ嬢たち、70人ほど全員をもれなく大爆笑させ、最後はスパッと終了、かっこよく去っていったと。それがテレビの時より面白かったとも言われていた。

さんまはきっと考えながら喋っているのではないのだと思う。話題なんかはきっと自分から振り、それに返ってきた女の子のコメントにサービス精神よろしく褒めたりけなしたりしながら、ちょいちょい持ちネタも放り込み、場と彼女たちをあっため、ナビゲーターとしての主導権を手離さず、休まず休ませず、繰り返し繰り返しボケまくる。その反応たるや、脳みそでおこなっているのではなく、脊髄での産物だろう。卓球やバドミントン並みのスピードと反射だと思う。

つまり、その時その時をやる気に溢れ、状況に合わせたコメントを、周りを楽しくしたいという希望一杯に、流れを止めずに表現し続ける。

ここにも、今を一生懸命生きるだけの人がいるのだ。


さて、そろそろ今日の本題に入ります…え?………はい。


演奏が生む感動も、実は同じだと思います。

その時その時を、やる気に溢れ、状況(楽譜、空間、聴衆)に合わせたコメント(演奏)を、周りを楽しくしたい(気持ちよくなってもらいたい、曲の良さ、楽器の魅力を感じてもらいたい)という希望一杯に、流れを止めずに表現し続ける。

頭で考えて計算しようとしたり、意表をつこうとしたり、アイデアで感動を引き出そうとしたりするのではなく、とにかく流れを止めずに一生懸命自分が出す音と空間に反応し続ける。そうすれば、作品の底力がある瞬間、自然発生的に感動を生む。その時その時を
一生懸命演奏するだけでいい。

オーケストラなんかも、本当はそうなのだと思う。訥々(とつとつ)と、真摯に、大盛な表現意欲を溢れさせ続け、一生懸命積み重ねていく。すると、自然と感動が不意に込み上げる。指揮者に理解しておいてほしいことのひとつ。もちろん我々オケマンの取り組みも同様に。

ここにも、人生に必要なたったひとつの真理がある気がします。


先日観ていたドラマのセリフ。貧しくもたくましく、一生懸命今を生きる女性の言葉。

「不確かな未来を心配したくない。自分には今が大事」

確かに、未来が確かだったためしはない。

今を一生懸命。

さんまも、演奏も、人生もきっとそうなのだ。


川越へ。試験を聞く。

posted by take at 18:52| 活動報告