2016年02月29日

うるうる年


うるう年がうるう年であるべき日である。(うるう秒ってのもあんのよね)


悠久の時の流れにすら誤差があるのです。世の中は、私の音程やリズムの誤差に関して眉をひそめるが、そもそも貫き通せぬぶれぶれゆるゆるの性格、常に誤差と共に生きる人生だ。是非「ま、いっか」と、巨大な眼差しで見守って欲しいものである。


えっと、2月29日はやっぱり『肉の日』で、290円で食べ放題だったり、『ニンニクの日』で特売があったり、『富士急ハイランドの日』で入場無料だったりするらしい。


品物やイベントもいいが、もっとメンタルに訴えてみてはどうだろう。

『憎らしい人の日』

日頃のうっぷんを晴らすが如く訴えても、反論してはいけない日。翌日以降のことは知らない。無事を祈ります。下剋上含め、再び攻撃に転じたいならまた四年待ってください。その時は、下剋上される側かもしれませんが。


『不服申し立ての日』

似ているが、どんな不服でも訴えていい日。必ず聞かなければならないが、叶えられるかは不明。でも、自由に訴えられることは大事。


『フクフクの日』

太った人こそが素晴らしいという日。


『福の日』

とにかくいいことがあると、無条件で信じるポジティバーの日。鈴木福君の日。


スコットランドではなんと、

『女性がプロポーズしたら、男性は断ってはいけない日』

だったのだそうです。しかもこれは、正式に女王が制定した法律だったとゆーからビックリ。

時は1288年のスコットランド。当時は男性優位社会で、プロポーズも男性からしか認められていなかったそう。そんな中「女性からプロポーズしていい日を作ってほしい」という女性の声が数多くあったというのです。その女性たちの気持ちに共鳴したマーガレット女王は「女性からのプロポーズOKにしよう」と決断。

「四年に一度のうるう年には、女性は好きな男性にプロポーズすることができる。また、基本的にそれを断ることはできない。もし断るなら、罰金などを払うべし!」

ひ、ひえ〜〜っ!

男からすると、ギャフンでスットコランドな法律。現在は廃止されているが、それでもイギリスやアイルランドでは風習として今も残っていると。


罰金が払えないなら無条件結婚か?いや、そんなに貧乏ならプロポーズされない??

じゃあ、金持ちイケメンがいきなり10人からプロポーズされたら、罰金も膨大な額に。いや、法律だから全員と結婚できる???したい、したくない????女性は早いもん勝ちだった?????

当時はきっとハッピーあり不本意あり、幸せ不幸の涙で、うるうる年な一日だったのでしょう。


いずれにせよ、俺はまだそんな気ないよってスコットランド男は、来日して日本の風習を盾に頑張りましょう。

『不服申し立ての日』


罰金払われてまで断られたらそら辛さ倍増だけど、それでもこの日を目指す女性の気持ちになったら、胸キュンロマンを感じる法律ですね。

え?ポジティバー過ぎ??


川越へ。ジパング。

posted by take at 16:39| 活動報告

2016年02月28日

ああ、夢状


夢はよく支離滅裂で、起きてから複雑怪奇な気分になることも。若い頃はそんな自分を疑って、プチ深刻になったこともあります。

僕は、海亀に乗って空を飛んでいたり、弾けもしないのにヴァイオリンでN響に参加して「どうにかなる」と思ってたり。

誰しもそんなしっちゃかめっちゃかな夢を見る、そして脳の機能、成長ホルモンによる身体の回復ともうひとつ、記憶の整理の際、様々な情報が交錯し混ざることがあると知った時は、少なからずほっとしたもんです。

そんなフィクション過ぎる夢もあれば、ストーリーもキャストも、現実にそぐっているパターンもなくはないですね。

自分に都合のいい、ずっと覚めないでいてほしいくらい希望が叶ってるものや、起きてから考え込むほど、それからの生活を暗示するような内容もある。

これらは、きっと現実的なきっかけが前夜までにさりげなくあり、いよいよそう向き合うタイミングが来た、ということなのだと思う。


起きてみて……


若き楽聖たち、現代の社会の風潮、若者全体を覆いがちな気質、デリケートに向き合わなければならない部分も多々あれど、やはり、ひとりひとりに

【潜在的高次元志】

レベル搭載の

【対自分不満闘争心】

と、“世界でひとつだけの花”も大事だが、やはり同時に

【無条件強力競争心】


あって、初めて素晴らしい演奏家になる、と強く思わされた。

今、一線で活躍する演奏家たちと付き合いながらの現実としては、そんなものを分かりやすく、言葉にしたり態度に出したり、むき出しにしている人はいない。みな、優しくフレンドリーな振舞いで、本当にキバなんかもっているのだろうかと。

しかしハードでシビアなステージでの、完成度に対するあくなき追求を体現する姿勢、一期一会に対する最高表現を目指す生き方、隣や周りの、奥底に見える鬼のようなプライドが感じられた瞬間、

「結局、これなくして演奏はありえない」

と改めて納得し、若者への欲求のあり方を深く深く考えさせられてしまう。


そんな夢も見る。


帰京。

posted by take at 07:35| 活動報告

2016年02月27日

演歌したい


昨日のジパング、練習の最後に演歌を六曲ほど音だししました。

北酒場、青い山脈、長崎は今日も雨だった、心のこり、津軽海峡冬景色、高原列車


そこまでいつものレパートリーの練習をし尽くしたせいか、ハーモニーは合うし、リズムも悪くない。そしてジンガイと違って、実はどんな風に演奏すればよいかはわかっている。

凄くわかっている。チョーわかる。


でも、ハナミズキや日本の詩を凄くハモらせて演奏した後、気持ちはいくが、特に僕、演歌をやりきれない自分がいる。


それが、こんなに悔しいなんて………


N響、管楽アンサンブル、四国中央市公演

posted by take at 19:13| 活動報告

2016年02月26日

夜中の価値


楽食で楽聖がスイミングな話題で盛り上がっている。

最近寝られないから昼間が眠い、という話がスターターだった。それから、何時に寝つき何時間寝るのかという話題で進むのだが、ある楽聖の発言で、僕の意識が昭和のあの頃へ跳ぶ瞬間が……


「12時(0時)からが楽しい」

たけ 「わかるよ。12時より前に寝ると、人生損してる気がするんでしょ」

「そーなんですよ。12時からが “自分の遊びの時間” て感覚なんです」

言ってること、ホントよくわかる。あの頃、ガッツリそうだったから。

もう寝なさい、寝なければならぬという親や学校、社会からの圧力は、イコール“一人で部屋に籠り出てこなくてよい、何もせず寝るだけでいい” ということであり、これこそが子供から若い世代にとって

『究極の自分の時間』

なのであろう。自分で、好きなことに自由に時間が使える。本当は寝た方が良いことは頭のどこかでわかっており、自分の意思と判断で、少々イカンことをしている。このプチ罪悪感が、またマイ・ミッドナイトをより魅惑的なものにしていく。やっぱり人は、少なからずイカンことをしたがる本能がある。

ただし、部屋の中で独りでとなるので、意外にやることは限られる。今ならインターネットやSNS、多種ゲームもあるので、やろうと思えばいくらでも睡眠時間を削ることができる。


昭和のあの頃、僕のパターンで言えば、中坊の頃はとにかく深夜放送だった。

あ、ラジオね。

『ヤングタウン』と『ヤングリクエスト』、つまり、『ヤンタン』と『ヤンリク』をハシゴするのだ。ネットサーフィンならぬ、レィディオサーフィン!!

布団に入ったまま、枕元のラジカセを楽しむ。邦楽洋楽問わず、興味のあるものはカセットに録り、テープが伸び音が歪むまで、巻き戻し巻き戻し聴ききる。平成の現代では無いものばかり。カセット、録る、伸びる、歪む、巻き戻し……

高校生になると、レコードばかり聴いていた気がする。ヘッドホンも使ったが、シンフォニーを夜中にどこまで大音量でかけて大丈夫か(これまた反社会的、反家庭的でイカンこと)をやり、よく怒られていた。

もう2時なのに、やっぱりもう一曲聴きたくて……シンフォニーが。で、「一楽章だけ」 と聴き始め結局最後まで聴いて、みたいな。で、もう一回聴きたいのをあきらめかけて……フィナーレのカッコいいとこに針を落とし、やっぱり最後まで聴いて。で、さすがにあきらめて寝る。

大学生になると、飲んでばかりいたので、0時は酔っぱらっており、1時は騒いでおり、2時はヘベレケであり、3時は泥酔で、エブリナイト就寝時刻未確認状態だった。未確認酒好人体だった。


あの頃の僕も今の楽聖も信じられないかもしれないが、現在の僕は出来る限り12時より前に寝たい。そしてたっぷり寝たい。寝る間を惜しみたくない。12時からに特別な遊びはなく、夢を見ようが見なかろうが、布団の中でただただ横になりスイミングしたい。

そう言うと、つまらない人生になったんですねと思われるかもしれない。


実はそうではない。真面目になったわけでも、イカンことをしなくなったわけでもない。

今の僕には、その時間に寝て、快復し、万全な身体でいることが大切なのです。なぜなら、起きている時間が全て、


自分だけの遊びの時間


だからです。それは部屋に籠るものではなく、社会という広いフィールドに飛び出して、あらゆることを楽しむ時間。

希望も入ってますし、前向き過ぎて少々気持ち悪い言い方ですが、でも大人ってそんな感じです。


川越へ。レッスン。ジパング。

posted by take at 13:33| 活動報告

2016年02月25日

損得


カレー屋さんの福神漬けは、基本取り放題である。『お一人様、スプーン一杯まで』とは書いていない。僕は、スプーン二杯くらい、らっきょうもあれば三つくらいは取る。取り放題だからこの際という貧乏性もあるが、正直に自分に問えば“好きだから”である。


カレー屋ではないが、ある人と食事した際、とある取り放題トッピングを驚くほど取っていたので驚くほど驚いたことがあった。本家の味がわからなくなるんじゃないかってくらい。召し上がるのを見ていたら、本家とのコラボははなから離脱しており、トッピングは別の料理として楽しんでいた。一点を見つめながら、ノンストップで夢中に口に運ぶ姿を見ながら

…そ、そこまで好きなんだ

この店で心おきなく堪能できてよかったですね、と思った。


別の人にその話をした。「あの人、〇〇物凄く好きなんだね」。すると次の瞬間、僕の想定外のコメントが返ってきた。

「いや、あの人は全て損得で動いているんですよ」

たけ 「…………」

しばらく言葉はでなかったが、少し経って自然に沸いてきた言葉をなげてみた。

たけ 「そうなんだ。でも得しようと思わないで生きた方が、後々結局得するのにね」



そら誰も損をしたくはないし、できれば得したい気持ちはあるでしょう。しかし人生一度も損しない人なんていないし、何をもって得と感じるかは人それぞれ。ただ、日常的に有難い得はそれなりにしている気がする。

自分で損したくないからこうするとか、得したいからああするとか、たとえばそれが価値観の中心にあったとして、果たしてそううまくいくだろうか? (得ありきのバーゲンや百均に行ったとしても、結局後々使わないものにお金を使うはめになってたりもする)


実は社会は、自分が得しようとすると、誰かが損をするようにできていたりする。

小さい得を日銭の如くせっせと集め、気がつくと周りの損からくる自分に対する評価、付き合いと生きる人よりも、周りの得のために、多少の損をいとわずせっせと生きる人が、後々得しているように見えます。


そもそも損を感じがちな人いれば、損に鈍感な人もいる。

得に執着する人いれば、想定外の得に驚き、迎え入れたと思えば周りに還元しようとする人もいる。


損得なんて不意に訪れるものだし、人によって自覚の感覚、沸き上がる感情はずいぶん違うのだろう。

人生のいろんなタイミングで経験するものでもあり、求めたり決めつけたりするものではないのでしょうね。



川越へ。ブラスアンサンブル練習。

posted by take at 12:48| 活動報告