2016年01月17日

信頼関係


長いこと人生を送ってくると(というほどまだ生きてませんが)、意見の似通った人はそれなりにいるが、細かい考え方を見つめたなら本当に十人十色なんだなあと思います。

ということは、自分はノーマルだと思いたくても、現実としては結構独特で、どの程度常識的なのかは甚だ怪しい。そういう意味では、ノーマルな人なんて存在せず、70億総変わり者なのかもしれない。


それでも、本音で話せてあまりハウらない付き合いやすい人がいれば、

“随分違う思考なんだなあ”

と思う人もいる。

で、違った場合、自分の正論で論破したくなったり、同意させたくなったり、単純に喧嘩したくなったり色々な気持ちが沸くものだが、もし正しい時の流れがあるとしたら、

“不愉快が目減りしていくように、理解と変化がある”

それはお互いの尊厳が尊重されていることになるわけで、70億全ての人が皆当たり前のように、気分良く地球上で生きていける状態だが、そのために必要なことは、唯一の正義や、常識、もちろんそれを語る正論、

その前に

【信頼関係】

というひとつの糸のようなライン、これに尽きると思います。


70億全ての人とその関係を造るのは当然不可能ですが、変わり者の自分が、自分の周りにいる人たちと本当に造れているのか。これは自分に問わなければならないし、考察と努力、我慢と信じる心が必要ですね。

自分はこの人とは信頼関係を造らなくてもいい、と思うなら、自分から離れるべきでしょう。ただ、一緒にいることを選び、自分主体に関係空間を造りたく相手の非難を自分で容認しまくるなら、信頼関係はまず生まれない。生まれないのだから結局不快が生まれ、傷つけたりしながらいずれ別れを迎える。そこを目指すのはあまり気持ちよくないし美しくない。


「自分は嫌われてもいい、言いたいことは言わせてもらう」というのは、黙りこくってしまう人より一見相手を信じてそうだが、築きたいものが信頼なのか優越感なのかで、言葉も表情も変わってくる。


信頼関係が造れることこそが何よりも必要なスキルなのだとしたら、目の前の人に信頼してもらえるべく、自分とは違う意見、表現の彼を認める瞬間を、一回でも多く増やしていくべきなのだと思います。



室内合奏団。ブロカート。

posted by take at 17:45| 活動報告