2016年01月07日

ピアノとフォルテ


ルネッサンスからバロック期にかけて、大変高名であり重要な役割を担った作曲家として、ガブリエリの名前はいの一番に挙がる。

そんな偉大な方の作品とは知るよしもなく、中学二年の冬、アンサンブルコンテストに出場すべく金管八重奏で

『ピアノとフォルテのソナタ』

に取り組んでいた。

上のAの音をピアノで綺麗に出さなくてはならなかったし、全体的に高い音域に対しスタミナ面でも四苦八苦。何よりシンプルな和音と音の羅列に、一切逃げ道もごまかしようもなく、今演奏しても最も実力バレバレでシビアなタイプの音楽をよくやってたなあと。まあそんなこともわからずやってたからできたのでしょうね。無知の強さとも言える。


あれから40年弱。今僕はこの曲を、あの頃と違う目で見つめている。どういう目かと言うと

“凄いタイトルだなあ”

なんて目。だって、私たち演奏家が一生向き合いつづけるふたつの記号、ピアノとフォルテだけで語られた曲名ですよ。『アンダンテとアレグロ』とか、『アダージョとアレグロ』とか、テンポで曲を表すものはいくつかありますが、少なくとも音量が曲名になっているのは、僕はこれ以外には聞いたことがない。


そしてこのピアノとフォルテだが、“豊かな表現意欲こそもっとも根っこに持っているべき” とあらためて意識しつつある今、

“そもそも意欲的に表現するとは、どういうこと?”

と具体的に考えた時、最も最初に浮かび上がってくるワードたちなのです。

表現=歌ととらえると、テンポ設定やアゴーギク、ビブラート等を思い浮かべるが、実はもっとシンプルなアイテムとして、

“どれくらいの音量で演奏するのか。しようとするのか”

は簡単に浮かび上がることなのです。特にまだ経験年数の浅い人たちには

“まず音量”

なのではないでしょうか。

そして、私たちにはピアニシモやメゾピアノ、メゾフォルテやフォルティシモもあるが、やはり

『ピアノとフォルテ』

でしょう。もちろん、大きい小さいだけが表現ではないことも私たちは知っている。しかし、若者にこそ

“ピアノをとにかく小さく吹きたがる、フォルテをとにかく大きく吹きたがる”

という、我慢なく沸き上がる欲求を期待したい。

それは、失敗や破綻と隣り合わせではある。だからといって自分で無意味な枠を設定し、そこからはみ出ようとしないというスタンスからは、表現がもたらす説得力、未来の自分への期待、恐れぬ心が生む楽器や聞き手を信じる気持ち等を感じることは難しい。

幅広い音量表現へのチャレンジは、おのずと音色の変化を生み、テンションの説得力を生む。自らが、自らの取り組みから学ぶことも多い。

何より、

「大きくなければ、小さくなければ伝わらない、感じてもらえない、喜んでもらえない」

という、演奏家に必要な誠意こそが、価値ある演奏を未来へと繋げていく。


みんな、小さく吹きすぎて、大きく吹きすぎて、大いに失敗すべきなのだ。


N響、定期練習。海上自衛隊レッスン。

posted by take at 17:05| 活動報告