2016年01月06日

出口なき葛藤


さて、二日目の今日は、あの四次元時空間を突き抜けた名曲、キングオブ狂猫ソング

『スーダラ節』

について考えてみよう。作詞はもちろん青島幸男前都知事。この作品は1961年の産物。なんと55年にもわたり、我が日本の悩める大人たちの心を慰め続けているのだ。少しは成長せぃ。

あのタモリもたけしものけ反り崇拝したのだが

「♪わかっちゃいるけど、やめられない♪」

という人間の性。

駄目だと思い既にやめられていることは語る必要のないことであるが、やめられないことは、やめなくても大きな罪に問われていたり、命を落としてしまっているわけではないわけで、もしかしたらやめる必要のないことなのかもしれないのである。

しかしながら、少なからず失っているものがあり、それさえやらなければ更なる幸せな人生、人から後ろ指指されない人格を手にいれることが出来るのかもしれないが、欲望が渇望し、葛藤がカッとしても行動にうつしてしまう判断に至っては、

「♪いつまで経っても駄目なわたしねぇ〜♪」

の歌と姉妹的価値観に溢れている。

具体的に何がナニなのかと言えば

【チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ


ねらった大穴 見事にはずれ
頭かっと来て 最終レース
気がつきゃ
ボーナスァ すっからかんのカラカラ
馬で金もうけ した奴ぁないよ


一目見た娘に たちまちホレて
よせばいいのに すぐ手を出して
ダマしたつもりが チョイとだまされた
俺がそんなに もてる訳ゃないよ】

すなわちこれ、

“酒と博打と女”

なわけで、葛藤しながらも繰り返してしまい、清廉潔白でいることを選ばない、まあダメダメな人生とも言えるが、だからと言って周りに大きな迷惑をかけているわけでもなく、だったら別にいいんじゃないかだが、やはり人として反省してしまい、しかしまたやってしまうという性。

そのことを否定する人道的道徳観念はあるのかもしれないが、いやいや人なんてそんなもんで、アカンことを繰り返しながら、周りから笑われながらなんとか生きていく姿に、本質があるのではないかと。

狂ったにゃんこたちが素晴らしいのは、わかってるけどやめられないと、我が現状を説明したあと反省するわけでなく、未来への展望を述べるわけでなく、ただただ繰り返し

「♪すぃーすぃースーダラダッターすらすらスイスイスイー♪」

と、時間の流れに身を任せるのだと言わんばかりに、自己肯定ともとれる行動にでて、

「人なんてエラソーに言ったって、大人もみんなこんなもんさー。だからきばらず気楽に生きようぜ」

と社会に対して投げ掛けながら………


あのー、いつまで意味ないことくどくど書いてるんでしょーかー。

わかっちゃいるけど、やめられない!


N響、定期練習。

posted by take at 18:12| 活動報告