2016年01月11日

自己肯定型酒論


酒は飲む量を考えなくてはならない。なぜなら、飲み過ぎると二日酔いになるからであり、

「いい加減酒の飲み方を覚えなさい」

と怒られたりもするわけで、

「酒は飲んでも飲まれるな」

という空海の言葉にもあるように、たしなむように付き合うべきである。(あ、空海のとこは嘘です。今日“ひらがなを造ったのは空海という説もあるがうんぬん”というのを見て、讃岐人だけではなく、日本全体で「偉業はなんでも空海にしとく」というのがあるんやな、と思ったので)、

ただやっぱり

「量より質やろ」

と思うのは、忘年会のある日のように、チェーン店のノミホーの焼酎を飲み過ぎて、予定どおり二日酔いになったりするからで、「やっぱりプラス払っても、知ってる酒飲めばよかった」となり。

で何度か、ものすごい量飲んだのに全くへっちゃら翌朝スッキリ、なんて過去の栄光もあり。それは必ずいい酒であり

「やっぱり量より質だよなー」

となる。

問題は“量より質なんだからいい酒ならいくら飲んでもいいんだ、だから俺はたくさん飲んでいいんだ”と思いたがってる自分の質そのものにある。

こやつは、先輩の言葉も空海の言葉もスルーしようとしているわけで、【量より質】自体は間違いなく間違いないのだが、気持ちでそちらにもっていこうという姿勢、「量より質とはいえ、やっぱり量飲んだらアカンやろ」を追いやろうとしている生きざまは、間違いなく間違っているのである。

でもやっぱり、いい酒なら結構飲んでも翌日残らないと思うんですが、ねぇみなさん。空海もきっとそう言いますわな。


ブロカート、金管分奏。レッスン。

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2016年01月10日

アンサン血ル


やはり定期的に血液型の話になる。

「私はA型。つまり標準」

なんてコメントを聞いた。人類の中心で血液型を叫んでいるわけです。全てのA型の人がそう思っているかどーかはわかりませんが、そういう価値観があり、そう表明する性質があることを知りました。

僕はO型だが、人間の標準だという感覚はない。そもそもどれが標準、それ以外という価値観自体が無い。

多分ほとんどのO型の人が、

「いろんな血液型と付き合うことがやぶさかでなく、自分がOであることを心から悔やんでおらず、おおらかだと思っているが“いやあ、おおらかのOじゃなく大雑把のOですよ”なんて言いながら、ただ標準なんて風には思いません」

と言うだろう。


僕の知り合いには、木管五重奏を楽しむアマチュアの人がたくさんいるのですが、やはりメンバーの血液型の話はよくでます。

ある片寄った団体(ABだらけ)の話を聞きながら、アンサンブルも血液型を揃えたメンバーなら、練習風景、演奏はどうなるのだろうかと妄想した。

アンサンブルAは、妥協を許さない部分が精密な演奏を生むかも。ただ、全員が黙ってしまって、時間がかかってしまうシーンもあるかも。

アンサンブルBは、全員が違うポイントの話をしていて、解決してないのにまんま先へいくかも。でも、それが素晴らしいニュアンスを生むかも。

アンサンブルABは、真面目だったり不真面目だったりかも。友好的だったり、攻撃的だったりかも。

え?アンサンブルOですか??

そら名演でしょう。とにかくギスギスしないね。合ってなくても

「ま、いいね。そのうち合うかもね。それより、飲みながら話し合うこともアンサンブルだよね。練習、ここらへんでもういいね。いこーいこー」

だ。


作曲家も、それぞれの単一血液型アンサンブル故に、演奏がうまくいくような曲を書くわけですよ。交響曲も一番二番ではなく、

『交響曲A』

とかね。で、N響じゃなくA響が演奏するわけです。

このオケ、もちろんオーディションの段階で、血液型証明書を履歴書に添付。でも中にはAなのにO響に入りたくて、偽造証明書を発行してもらったのが試用期間でバレたりしてね。でもO響だから

「ま、いーよね。仲良く一緒にやろーよ。一人くらいAの人いるくらいがいーのよ。このオケ、遅刻も楽譜忘れるのも違う練習場所行くのも違う日にホール行くのも多くて、まだ一回も本番できてないのよ。ま、それもいーんだけどね」

でも、冷静に考えたらOだらけの中に独りAって、その人地獄じゃなかろか。

ちなみに、ジパングは僕以外の三人がA、リーダーの僕がOで、僕はとてもやりやすいが、彼らがどう思っているかはわかりません。考えないようにしています、Oだから。

あと今気がつきましたが、AO入試って、BとABの人は受けられないんですね。大変な時代ですわ。


室内合奏団。N響定期。ブロカート。

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2016年01月09日

スラーお上手


♪ハ・ハ・ハ・ハ〜ピバ〜ハ〜ピバ〜・ス・ス・ス・スデー・スデー♪ (ダースベーダーのテーマのメロディーで歌ってください)

これは 『バースデーダーのテーマ』。昨日家人の誕生日で、集まってくれた友人たちに

「君たち、今日は私のために集まってくれてありがとう」

と定番のノリで言う彼女に、僕が命名してみた。


【大ヒット記念 スターウォーズ限定駄洒落】

エピソード1『ファンと揉めます』
愛想の悪い芸能人の話
(ファントム・メナス)

エピソード2『公文の学習』
小さい頃から受験ウォーズは始まっている
(クローンの逆襲)

エピソード3『キスの応酬』
付き合いたてカップル
(シスの復讐)

エピソード4『あら!溜まる脂肪』
気がついたら太っていた話
(新たなる希望)

エピソード5『定刻の幕終』
終演時間が守られる話
(帝国の逆襲)

エピソード6『自衛隊の士官』
自衛隊の話
(ジェダイの帰還)

エピソード7『4thの学生』
大学四年生の話
(フォースの覚醒)

『ルーム住まいウォーカー』
部屋探しガイド
(ルーク・スカイウォーカー)

『ハン袖』
夏の衣装
(ハン・ソロ)

『チューばっかり』
付き合いたてカップル
(チューバッカ)

『プリンです!うめいや』
プリン好き
(プリンセス・レイア)

『おじさん毛伸〜び』
ブラマヨ小杉の夢と希望
(オビワン・ケノービ)

『アル中でちゅ』
酔うと幼児化
(R2―D2)

『シースルーいーよ』
ファッションの好み
(C―3PO)

『用賀』
田園都市線の駅
(ヨーダ)

『三重にあるパソコン』
そらよっけあるやろ
(ミレニアムファルコン)

『ナイトシェーバー』
夜の髭そり
(ライトセイバー)

『常時浮かす』
節約家
(ジョージ・ルーカス)

『夢中』
人生の舞台に欲しいもの
(宇宙)


N響定期。

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2016年01月08日

青莓報告


実はですね、ボケなくなってきたんですよ。

音?リズム?頭?

まあそれはボケてるんですが、目です。目が。

ブルーなベリーの毎日始めました、と書いたのが去年の9月の中旬。あれから四ヶ月弱。毎朝ヨーグルトに十数粒入れて食べてます。毎日欠かしちゃだめとの話もあるので、旅用にサプリメントも常備して。

先月のある朝、起きて携帯開くと、文字がえらく小さくなってました。

「あ〜、酔っぱらってあれこれ押して、文字サイズ小さくしちゃったのね」

で、しばらくそれでスクロールしていたら

ん!?

以前はもうこの大きさだと、近くでも遠くでも一切読めないくらいボヤけてた。つまり乱視だったのですが、

「くっきり読めるじゃん」

というか、最近どんな字もボケなく見えてるがな。

この話を何人かにしたら、「自分も毎日食べてるけど変わらず見えない」という人もいる。

しかし僕はあきらか見えるようになった。個人差あるようですが、これはもう食べ続けるしかありません。


N響、定期練習。

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2016年01月07日

ピアノとフォルテ


ルネッサンスからバロック期にかけて、大変高名であり重要な役割を担った作曲家として、ガブリエリの名前はいの一番に挙がる。

そんな偉大な方の作品とは知るよしもなく、中学二年の冬、アンサンブルコンテストに出場すべく金管八重奏で

『ピアノとフォルテのソナタ』

に取り組んでいた。

上のAの音をピアノで綺麗に出さなくてはならなかったし、全体的に高い音域に対しスタミナ面でも四苦八苦。何よりシンプルな和音と音の羅列に、一切逃げ道もごまかしようもなく、今演奏しても最も実力バレバレでシビアなタイプの音楽をよくやってたなあと。まあそんなこともわからずやってたからできたのでしょうね。無知の強さとも言える。


あれから40年弱。今僕はこの曲を、あの頃と違う目で見つめている。どういう目かと言うと

“凄いタイトルだなあ”

なんて目。だって、私たち演奏家が一生向き合いつづけるふたつの記号、ピアノとフォルテだけで語られた曲名ですよ。『アンダンテとアレグロ』とか、『アダージョとアレグロ』とか、テンポで曲を表すものはいくつかありますが、少なくとも音量が曲名になっているのは、僕はこれ以外には聞いたことがない。


そしてこのピアノとフォルテだが、“豊かな表現意欲こそもっとも根っこに持っているべき” とあらためて意識しつつある今、

“そもそも意欲的に表現するとは、どういうこと?”

と具体的に考えた時、最も最初に浮かび上がってくるワードたちなのです。

表現=歌ととらえると、テンポ設定やアゴーギク、ビブラート等を思い浮かべるが、実はもっとシンプルなアイテムとして、

“どれくらいの音量で演奏するのか。しようとするのか”

は簡単に浮かび上がることなのです。特にまだ経験年数の浅い人たちには

“まず音量”

なのではないでしょうか。

そして、私たちにはピアニシモやメゾピアノ、メゾフォルテやフォルティシモもあるが、やはり

『ピアノとフォルテ』

でしょう。もちろん、大きい小さいだけが表現ではないことも私たちは知っている。しかし、若者にこそ

“ピアノをとにかく小さく吹きたがる、フォルテをとにかく大きく吹きたがる”

という、我慢なく沸き上がる欲求を期待したい。

それは、失敗や破綻と隣り合わせではある。だからといって自分で無意味な枠を設定し、そこからはみ出ようとしないというスタンスからは、表現がもたらす説得力、未来の自分への期待、恐れぬ心が生む楽器や聞き手を信じる気持ち等を感じることは難しい。

幅広い音量表現へのチャレンジは、おのずと音色の変化を生み、テンションの説得力を生む。自らが、自らの取り組みから学ぶことも多い。

何より、

「大きくなければ、小さくなければ伝わらない、感じてもらえない、喜んでもらえない」

という、演奏家に必要な誠意こそが、価値ある演奏を未来へと繋げていく。


みんな、小さく吹きすぎて、大きく吹きすぎて、大いに失敗すべきなのだ。


N響、定期練習。海上自衛隊レッスン。

posted by take at 17:05| 活動報告