2016年01月16日

足腰


かつてスタスタ歩いていた方が、

「いやあ、息切れするんだよね。もうこの程度の上りでもきついんだよ。みんなに言ってるんだけど、僕に構わず先に行ってね」

と。

僕より20歳ほど上の人。若手にも「先行って」と言ってるのを目撃したこともある。

この方に限らず、歩くのがきつそうな人はいらっしゃるし、ウォーキングを欠かさないという先輩の話もよく聞く。

やっぱり足腰だなあ

と改めて思う。

「ブルーベリーは毎日欠かさず。ただ、悪化は防げるけど目が良くなるわけじゃないよ」

とアドバイスをもらった。実際僕はボケなくなったので良くなってる気がするが、最初聞いた時は

「じゃあ悪くなってからじゃ遅いから、問題なく見えてる時から食べた方がいいんだ。でも問題ない時はケアしないんだなあ」

と思った。

足腰もきっとそうだ。

歩くのがしんどくなってから何かしようとしても、それをすること自体今より大分しんどいはずで、やはり毎日とは言わずとも、何かしらルーティンとして慣れてやりつづけられるパターンを、今からやる必要性を感じる。

失礼な書き方だが、お元気だった方がしんどそうにしているのを目の当たりにすると、やはり寂しく感じる。いつまでもスタスタ歩き続けることを目標にし、足腰が弱りきらないよう今から何かしら始めなさい。

「先に行って」

は、そんなメッセージがこもったシグナルに聞こえました。


N響定期。

posted by take at 15:41| 活動報告

2016年01月15日

喋り……生きる


『女性はよく喋る』

………えっと、間違ってないですよね。

あ、もちろん個人差あります。そらそーです、おっしゃるとーり。なんでもひとくくりにして特徴づけちゃうのは男性の癖ですよね…うっ、これまたひとくくりにしてますね。

でもまあ、総じてよくしゃべりますよね。え?あんたに言われたくない。ですよね。もちろん自分は棚に上げておりますよ。そーです、私もなんだかんだよー喋りますし、よー書きます。そりゃ否定しません。

ただまあ、女をみっつ書いてかしましいなんて言ったりして……いや、私が言ったんじゃないですよ。えっとー空海だったかなあ。まあ、ガールズトークに象徴される情報と言葉の多さっていうんですか、一言うと十返ってくるみたいな。人の話に話かぶせ、みたいな。とにかく、一般的に女性はよく喋るイメージが……あ、わかってますわかってます、そのぶん男性より人の話をきちんと聞いている。おっしゃるとーりですし、話す話さないは個人差ありですよね。もちろん無口な方もいらしたりして。でも総じてよく喋るというか、やかま……(フェイドアウト)


世界的に女性の方が長生きである。つまり生命力が長持ちであり、とにかくたくましい印象。日本人も最新の情報では、平均寿命、男性が80.50歳、女性が86.83歳と六年も差がある。六年ちゃあ2,190日であり、52,560時間である。女性の方が五万時間も長く生きる力があるのです。

生物学上ではいろいろ理由があるのかもしれませんが、それはよくわかりません。ただ僕は勝手に

「よく喋るから」

じゃないかと思い始めています。

長生き、逞しい生命力の逆を考えると、短命、病弱、活力のなさなんてイメージがわいてくる。これは身体のことだけでなく、心、気持ちにもいえることで、そんな人をパッとイメージすると

“あまり喋らない。無口で暗い”

というのが浮かび上がる。

最近、学生はじめ幅広い世代で心が病んでる人が増えている印象があります。皆さんの知り合いににも誰かしらいるのではないでしょうか。この人たちの特徴として

【喋らなくなる】

というのがある気がします。よく話していた人が、最近無口でうつむきかげん、なんだかうかない顔してるみたいな。

心の闇に関しては、専門家ではないのでわからないことだらけですが、ただ喋られなくなる原因の種が、自己否定であり、希望的に生きられず悩みに悩んでしまうのだとしたら、やはり

『否定されない人生』

こそ必要な気がします。

何か発言したり表現しようとした時 「それは違うよ、間違ってるよ」と言われ続けたり、はたまた全く言われない、つまり相手にされてない印象になったり、周り中が自分の考えやムードと違う世界観で盛り上がっており疎外感に包まれたり。自分や他人に厳しすぎる場合や、本当はみんなと仲良くしたいのに、自分が特別でなくては気がすまない気持ちがコントロールできなかったり。自分の実力からの周りの評価と、理想の折り合いがどうしてもつかなかったり………いろんなことがあるのだろうと想像します。


ただ、世界中の人が同じ正論をもつことはありえないし、“成長という変化こそが人生”なわけだから、若いうちから未熟な発想、発言、間違った表現、愚かな言動をしない人なんて一人もいないはず。

世界中で今この時間も、間違った愚かしい未熟な表現は星の数ほどされているはずで、それを全ての世代に対して全面的に否定し、更正を要求し、封印を促すような空気、圧力が強くなると、人は喋られなくなるのでしょう。


親父の小言の中に 『子の言うことは四の五の聞くな』 というのがある。いろんな解釈ができるが、それは違う、それじゃ駄目と年中否定するのではなく、まあほっとく。いわゆるスルーの大切さとも読める。それぞれの今を認め、共有したりスルーという無視をしたり。正直書くと、このブログが続いてるのも、「お前の意見は間違っている」という書き込みを見なくて済んでいるから。

未熟間違い、発言の自由である。

また、自分と波長の合う人たち、コミュニティへと自らを向かわせる判断ができるといいですね。類は友を呼べばいいし、そうやって住みわければ、皆喋りやすいはず。


まあ、それにしても女性はよく喋るわけで、あれは人の話聞いているのかと思えば、男よりちゃんと聞いているそうで、しかしまだこちらが話してるのに………(フェイドアウト)


N響定期。

posted by take at 10:15| 活動報告

2016年01月14日

カモン!


今日はやはりクレイジーキャッツの名唱、青島幸男前都知事の歌詞、

『だまって俺についてこい』

について考えてみよう。皆さん、だまって俺についてきてください。

なにが凄いってあーた、この歌詞に初めて遭遇した瞬間、

「そ、それでいいのかっ!」

と膝うちしたくらい、人生観の中には逆の気持ちがあったのです。あまりに驚き過ぎて楽しくなってしまった。あ、「それでいいのかっ?」ではありません。納得したのです。


『ぜにのないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう

彼女のないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 波の果て 水平線
そのうちなんとかなるだろう

仕事のないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 燃えている あかね雲
そのうちなんとかなるだろう

(セリフ)わかっとるね わかっとる わかっとる
わかったら だまって俺について来い』


ぜにのないやつは、俺んとこへきてもだめです。なぜなら俺も無いからであり、こんなとこへ来ても何も解決にならず、心配事はなくならない。てか、自分が心配なくらいなんだから。青い空と白い雲を見て現実逃避してちゃダメよ。だってきちんと計画的に考えて努力しないと、そのうちどうにかなるなんて問題ではなくですなあ………

てな感じであの頃生きていたわけで。あー、つまらん人生ですわ。

とにかく四の五の悩まず、だまって俺についてくりゃいいのよ。刑務所に入ってるわけじゃないし、死んでるわけでもない。この俺は、ぜにも彼女も仕事もないけどちゃんと生きてるからすげーだろ。てか、俺は理屈抜きに凄いんだから、とにかくついてくりゃいいのよ。君の悩みは、基本俺について来れば、ちーちゃいことであり、いつかどーにかなることだってわかるから。まずは、悩むのやめて空を見上げてごらん。


でもねおじさん、子供の頃におとーさんおかーさんに言われたんです。

「知らないおじさん、わけのわからないおじさんについて行っちゃ駄目」

って。

ですよねー。


N響定期練習。川越へ。

posted by take at 09:43| 活動報告

2016年01月13日

永遠なるマリオ


ゲームには “クリアー” があるが音楽には無い。

数十年前、スーパーマリオをやりつくした時の虚無感は今でも忘れられない。凄く楽しんでいたしテクニックもついていた。アイテムも完璧に取り隠れ画面も全て行き、最短時間でクッパをやっつけた。もう攻略本にもそれ以上のパターンは書いていない。

そう、僕のスーパーマリオが終わってしまったのだ。目指していたのは達成感であり、喜びに包まれるのかと思いきや、そんなものはやってこず寂しさだけが残った。

「もう一度やっても同じことしかできないんだ。これ以上の新しさは皆無なんだ……」



音楽には、どうやってもこの【クリアー】は無いようである。

今日から共演している指揮者も、今までとは違うアプローチで幻想交響曲を色づけしようとしておりその表現はとても魅力的だが、これが理想的でパーフェクトな幻想かどうかは僕にはわからない。

というか、今までかなりの満足感はあれど、これこそが完成品だと納得できたことは、オケでもソロでもアンサンブルでも一度もない。

それが音楽、それが演奏なのだと思う。

それじゃ虚しいし切ないと感じるかもしれない。しかし、クリアーがないかわりに行き着くところのない奥行きがある。そこは無限の可能性を秘めており、自分が諦めずきちんと向き合うと、

ずっとマリオをやり続け
ずっとグレードアップし続け
ずっと新しいアイテムに出逢え
ずっと更に強いクッパと闘うことができ
クリアーできた気がした瞬間次のステージへ行きクリアー出来てなかったことを知ることができ
また新しいステージに憧れることができる。

つまり、あの時感じた虚無感は訪れなくてすむ。


実は人生はこの方が面白い。クリアーが無いと満足しない、直ぐ思い通りにならないと気がすまない人はゲームの方が良いかもしれないが、大抵の人は夢中になり続ける自分に憧れている。

音楽にはそんな魅力と、上昇指向を刺激する難易度が永遠にあり、まさにクリアー自体を生きる限り夢見ることができる。五里霧中に包まれることもあるが夢中になることもできる。霧でありながら夢なのだ。


音楽とは人間が造ったものなのに、いや、人間が造ったものだからかもしれない、人生と並走し続け、満喫はあれど完璧な満足はなく、クリアーする夢を見させ続けながら決してその達成感を与えない、そんなものである。

なぜなら、与えた瞬間、私たちには虚無感しか残らないことを、私たちの本能が知っているからなのだろう。


N響定期、練習。川越へ。

posted by take at 21:37| 活動報告

2016年01月12日

食欲欲


初雪も降ったようで、今季一番の寒い日に書くのもなんですが、アイスクリームをひとつ食べきるのが厳しくなってきました。

なんのこっちゃ?

若い頃はカップだろうがバーだろうがペロリと一気にいってたし、物足りないくらいだった。嫌いになったのではなく今でも食べるのだが、ソフトクリームなら三口、カップアイスなら三分の一、バーも三口、モナカなら一列半くらい食べるともう満足してしまい、若者に

「あ、あとはたのんだぞ」

と渡してしまったりする。


ハンバーガーは最近ほとんど食べる機会がないが、若き頃、住んでるとこの近くにモスバーガーがあった時は定期的に食べていた。で、その頃はバーガー二個に揚げ物みたいなサイドメニューもペロリだった。

今は、一個食べれば十分であり、あの頃とは随分かわったなあと。


しかし、全ての食べ物の摂取量が減ったのではない。大盛りカレーはウェルカレ、途中で放棄することはあり得ない。調子がいいとトンカツ屋でご飯のお代わりもやぶさかではなく、ラーメンなんか若いときより食べるようになった。基本量多めのつけめんも、中盛りいきたくなるし。

そう考えると、趣向で摂取量が変わるのか?

でもアイスクリームは嫌いじゃないんです。好きなんだけどすぐに飽きる。ハンバーガーも、多分二個目にもある共通物、バンズや野菜なんかに飽きるのかなあ。量だけいえば一気に食べきるつけめんの中盛りの方が多いし、味も変わらないですよね。

食べられなくなったことを残念がるというより、飽きるものと飽きなく食べられるものの判断感覚が進化したことにしよう。

ところで、お酒はどうだろうか?(昨日のブログに戻る)


レッスン
posted by take at 16:25| 活動報告