2016年01月31日

日記の話


先日飲み会の席で、とあるミュージシャンが“黒日記”と“ピンク日記”をつけているという話を聞いた。

黒日記の方は、宴席にいた全員が瞬間理解。しかしピンク日記の方は、男女で明桃を分けた。男は全員エッチな日記だと思った。女性は大半が明るく楽しいことを書いていると。

正解は女性の感覚。ま、書いているのは女性だそうで、男なんてそんなもんじゃろと見事に露呈した瞬間でした。

しかも、黒日記は一年書いたら神社へ持っていき焼いてもらうそう。それ自体は偉いなあと思います。

黒日記書いてるなんて聞くと一瞬怖くなるが、溜め込んでおかしくなるのはなんだし、大抵の人は友達に話して聞いてもらったりして消化したりしているのだろうが、それも人それぞれだろう。“黒いこと”は、沸き上がる人は沸き上がるのだから仕方がない話のひとつ。表明しがちな人は、周りからの非難も浴びがちだが、自分でもリスキーだとわかっている人も多い。日記に書いてしかも燃やすって、ある意味自分をコントロールできているように感じます。

ただ書いてるうちにエスカレートして、よりブラッキーになったりしないかと、不安も感じますが。


「僕は普段、あんまり黒いこと考えないので、書くなら青日記ですね」

「僕も、ちょっとヨメに聞いてもらうくらいなので緑日記かなあ」

男連中のコメントはいたって面白くない。女性陣もノーコメントノースマイルで聞き流す。


僕は、過去一度だけ10年日記をつけていたことがあります。1994年からのもの。ベルリン時代も書ききったのに、結局4年半で挫折しました。

1日5行ほどのスペースで、毎日どこへ行った何があったと。何週間かためてしまいまとめ書きしたりもしていた。

『記録は後々必ず役にたちます』

と書かれた紙が日記を入れる箱に入ってました。自分で読み返して役にたったことも数回はあったし、留学時代の記録は、毎日撮った写真と共にとても貴重なものだが、でもやめてしまった。

他人に見せるものではないから、それこそ黒だろうが桃だろうが、書き放題書けば良かったのだが、悩んでいた時代でもあり、結局葛藤と日常の行動の記録みたいになっている。二十代後半だったし。


年月が経ち、日記は公開のブログへと変身し、もうじき10年日記の記録、四年半にたどりつきそう。

こちらは人が読むものなので、これでもそれなりの節度が………え?あんのかって?

いやあ、僕にだって奥行きくらいありますよ。皆さんのしらない懐の深さや謎めいた部分がですねえ……………………………………

あるんやろか?


N響、オーチャード定期。ブロカート。

posted by take at 16:07| 活動報告

2016年01月30日

マルタン、デュティーユ、ヒンデミット


何回か出演している野方のフライデーコンサート。今年もリサイタルをやることになりました。

ピアノはもちろん、三輪郁さんです。


今回は、ガチなトロンボーンピースで、今の自分の音楽を世に放ちたいと思います。

何度も取り上げてきたマルタンの『バラード』。郁さんとやれるのか本当に楽しみです。

デュティーユ初期の傑作小品。作曲家本人も出来に満足していた『コラール、ガデンツァとフーガ』。本番にあげるのは凄く久しぶり。

これまた20年ぶりくらいに取り組むことになるヒンデミットの『ソナタ』。実は、かつてあるプレイヤーの演奏を聞いてとても感動したことがあります。今回、自分もそういう演奏ができる側に回りたい。

カステレーデはテナーのためのソナチネではなく、バスのための『ファンタジア・コンチェルタンテ』を。初めて取り上げますが、とてもメッセージ性溢れる音楽だと思っています。

他新しいアレンジ作品も一曲計画中。

実は僕は今、これまでとは違う新しい練習アプローチを試しています。この音楽たちを今一度、そのやり口で全て練習し直して、皆さんの審判を仰ぎたいと思っています。

まだ先ですが、是非皆さんに聞いていただけたらと、今からわくわくしています。


野方WIZフライデー・コンサート 第209回
【トロンボーンとピアノの夜】

日 時: 2016年5月13日(金)19時開演
場 所: 野方区民ホール

料 金: 全席自由 1,500円  *未就学児入場不可
前売り: 一般発売日 2月12日(金)10時〜
申込み: なかのZEROオンラインチケット
なかのZEROチケットセンター 03-3382-9990
野方区民ホール 03-3310-3861
主 催: 野方区民ホール


N響、足利公演。

posted by take at 20:29| 活動報告

2016年01月29日

ハナミズキの旅


2016rikuzen.jpg

ジパングが陸前高田市に行きます。高嶋圭子さんの『ハナミズキの祈り』を演奏するためです。

この曲は、この地で被災し息子さんを失った淺沼ミキ子さんが書いた絵本、『ハナミズキのみち』がきっかけで生まれました。

深い悲しみの中、息子さんが夢に現れ 「ハナミズキで避難を導いて欲しい」と言ったそうです。淺沼さんは、陸前高田『ハナミズキのみち』という会を設立。大規模な避難道にハナミズキを植える運動を今でも続けてらっしゃいます。


久々のジパング練習。もうレコーディングも経験した作品ですから、演奏自体は手の内に入っているものですが、音を出して数秒で、意識から薄れていた今回の私たちの訪問の意味が、強く僕を突き動かしました。

更にあの悲劇の日のこと、更地のこと、学生たちとあの場所に立ち、信じられないほど広大な失われた町の上で、まさに“ぽつてん”と淺沼さんとお会いしたこと。様々思いが巡ります。

改めて、本当に本当に、本当に辛い思いをした人たちの立場に少しでもたち、我がごとのように想像し、小さいことでも投げ掛け、同じ国に生きる人間として繋がらなければならないと、使命感のような気持ちも再燃しました。


家族や友人を、住まいを、思い出や自分の歴史を一瞬にして失ってしまった人々。自然の脅威と片付けるのは簡単ですが、人としての尊厳まで元々無かったのかと思わされるような悲惨さを、今一度リアルに受け止めたい。


ハナミズキの祈りは、音楽としての力も素晴らしい作品です。そこに、リアルな現実が混ざると、演奏していても負けそうになる瞬間もありますが、心を強く携えて取り組みたいと思います。



【トロンボーンクァルテットジパング陸前高田特別公演―ハナミズキの祈り―】

2016年3月2日
18時半開演

陸前高田市シンガポールホール

入場無料

高嶋圭子「ハナミズキの祈り」、天空の城ラピュタ・ニューシネマパラダイス他映画音楽特集、日本のうた、ジャズナンバー他


悲劇は忘れたくなる。でも忘れてはならない悲劇はあると思います。なぜなら、多くの人が忘れることによって、悲劇の上塗りのように悲しみが増し、苦痛に胸を痛める人たちがいるから。悲しみを甘く見てはいけない。本当に忘れてもいい日が来るとしたら、まだまだ長い年月が必要で、その時までは、共に分かち合うことこそ必要だと思います。

明日は我が身であり、自分がその立場になれば誰しもそう望むでしょう。その時は皆辛さに耐えられずに嗚咽し、慟哭から抜けられず、生き続ける判断すら失う可能性は高いのですから。


N響練習。レッスン。ジパング。

posted by take at 09:56| 活動報告

2016年01月28日

生徒・師


ある大学のプロフェッサーが、

「学生がなかなか上手くならないんですよねー」

と落ち込んだ様子でつぶやいていた。


わかります。


「教育って難しい、本当に難しい」というのは、我々教師たちが話し合いながら、最後に結論として出るキング・オブ・常套句です。

“生徒を上手くしたい”。教師としての存在理由、存在価値を確固としたものにするためにも、多くの先生が思うことでしょう。

更に愛情が多目にわく人なら“上手くなって幸せになって欲しい”なんて気持ちも宿るわけで、教育に向かうエネルギー、その燃料として情熱と並んで溢れたなら、強くそのベクトルが生徒に向く。


問題は、ここら辺りにある矛盾です。


生徒は、とにかく自分の力で上手くならなければならない。先生の力でではなく。としたら、先生の情熱も愛情も必要ないとなる。それが必要なのは、逆に生徒の方。取り組みに対する情熱。音楽に対する愛情。

実際、上手くなった人は皆自分で上手くなっている。教師は、その道のりの途中に現れる一登場人物でしかない。素晴らしいといわれる教師のもとでまるで花開かない人いれば、何も教えてくれなかったり、冴えない教育内容の師のもとから名演奏家も生まれる。


そう、実は愛情があるから向き合い、愛情があるから悩み、愛情があるから研究するから、最後は素晴らしい師になる可能性はあるけれど、生徒は結局本人の資質で上手くなるかどうかが決まるのが現実。

酷で悲しい話だが、教師はこの現実を受け入れ、大変強い気持ちのひとつを諦めなければならない。つまり、無償の一方通行愛情でなくてはならない。

この矛盾に悩みつつも、

「じゃあ師は不要なんじゃないか?」

という問いには否という答えになる。


最近、技術の9割は教えるべきではないなあという考え方になってきました。残りの1割とは、小学生からであれ中学生からであれ初期の3・4年は、教えなくしてはさすがに無理ではということです。

しかし、音大受験モードに入るくらい(この頃からレッスン受け始めるのですが)から大学生になり、更にそのあと延々と続く学びの時間に関しては(割合と人生の時間の比率にも合致するが)、自分の表現欲求こそが技術を生むか、手にいれるための研究意欲を生むかでなくてはならない。教師として教えてしまうと、そのチャンスも意欲も奪うことになる。


僕は今、教えない、喋らないレッスンを目標に様々研究しているが、生徒の前に立つ意味合いとしては、

“示す人”

でありたいと思っています。ただ演奏を示すだけだと、価値ある発想なきまま、似てしまう可能性があるので、それ以外も示さなければならない時期にきています。

自分が自分から引っ張り出してきた音楽、それを楽器に投影し確認し、自分の歌として放つ、そんな必要不可欠なプロセス自体を示し、依存したり、無意味に信奉しないような世界を示さなくてはならない。

そして、そんな空気が蔓延した学舎空間をなんとかして創る。

教師とは、教える人ではなく、示す場所を創る人なのかもしれない。


N響、練習。川越へ。

posted by take at 23:46| 活動報告

2016年01月27日

独善的熊門実力考察

2016012621200000.jpg  2016012612490000.jpg

夕べは、二軒目に『日本酒・焼酎バー』なる店に行った。ライオン通の古馬場のすぐ側。つまり旧吉川邸の近くだった。 店はお酒のラインナップも料理も素敵で、こぢんまりとした空間。いつもの仲間たちと、とても楽しく盛り上がった。

ふと店の隅を見ると、小さなくまもんが二匹。

遅れてくる人の席に、一匹御足労願い、彼女の代わりに宴席を盛り上げてもらう。

くまもんといえば、言わずと知れた、巨額の経済効果を生み出したくま。その実力は、日本を代表する高額納税者たちが束になってもも敵わない圧倒的パワー。2013年末の数字で、パブリシティ効果も含め軽く2,000億円を超えている。それから二年経ってるので、現在はそらもうごじゃはげでわやな数字、凄いもんでしょう。

ゆるきゃら界のみならず、県観光業界、県産業界、経済界、熊界、黒キャラ界、あーそー界すべての世界を代表するスーパーな方なので、その顔立ちも………

僕はずっと疑問に感じていた。

「なぜあのくまが?」

例えば、瀬戸内海高松港から密入国した隠れパンダリアンの僕が推す【ぱんだ】が人気るならよくわかる。だって可愛いじゃんか。特に子ぱんだ。

また、どー見てもくまだし敬称で呼ぶ理由がないのにくまのプーさんと呼ばれている【くまぷー】は、まあデニーズよりインターナショナルなデズニー一派なのでわからなくはない。


僕は、もちろんゆるきゃらは皆可愛くなければならないとは思ってない。シュール不細工ワケワカメ大歓迎だ。

しかし圧倒的一人勝ちというくまもん。熊本県の広報ぐまのはずなのに、他県にまで利用門を開き(くまもんのもんは、この門か?)、ありとあらゆる場所でありとあらゆるグッズになり、ありとあらゆる地域やイベントを盛り上げている。こうなるともう博愛ぐまに認定せざるをえず、ローマ法王もマザーテレサも空海もレディーガガも認める熊神様ということになる。

そんな熊様どんな顔?どんな姿?と思って見つめてみて、正直、そ、そっかあ…う〜んてな感じだったのです。


夕べは、熊本ではなく高松の夜の繁華街、ビルの二階のこじんまり飲み屋、しかも代打で宴席盛り上げるという役で、人類の平和に貢献してもらおうというわけで。

くまもんさんには、お誕生席の一端に座っていただいたが、反対側にいた人間くまもんみたいな我らの仲間、し〇うが、

「いやあ、目線が合わない」

と。

「え?そう?」と、くまもんさんにこちらを向いてもらい見つめてみたが、するとなんとっ!

どの角度から見ても目線が合わんやないかー!!!

一点に焦点を合わせておらず、両目の視線は真っ直ぐ平行に正面を惑わず見続けている。

そ、そうだったのかっ!

周りからのどんなアプローチにもまるで臆することなく、閥らなければ媚も売らず、世の大変さや不幸を軽く見切り、現世のみならず遥か彼方の未来、永遠なる未来だけを両目が見つめている。その視線のフォーエバーな感じは、もう地球上の距離感ではないのだ。

どんな人も、その崇高な眼差しに永遠の神を見、心の浄化を得られるのだ。そして何びとのものにもならず、何県のものにも……


そら焦点あっとらんけん、そー見えるわのー。


高松一高レッスン。帰京。
写真は、昨日のらんちうどん。もう上原では、注文せんでもざる、かけ、ひやかけの吉川三点セットが出てくるよーになった。僕の目線、その焦点はうどんのみに迷わず合っているが(三つも頼んどきながら)、更に眼に見えない何かの頂点が見えた気がした。

posted by take at 18:48| 活動報告