2015年12月22日

録音録画の可能性と限界


練習に録音や録画を盛り込み、自分の演奏の改善に利用すれば当然効果がありますね。

それらの道具としての現代の機器たちは、再生クオリティが大変に高く、とても扱いやすく、しかもかつてよりリーズナブル。

扱いやすさに関して一番思うのは、チャプター別にタイムラグ無しに自由に再生できること。かつてのカセットテープ、ビデオのように、再生したいところまで “巻き戻す” ことはもうなくなって久しい。この巻き戻しが当たり前だった時代、それはそれで更なる以前よりはハイテク感を感じていたが、今の形に慣れてしまうととてもとても。もう今はその作業はかなり面倒くさく、更に時間の浪費と感じるだろう。

つまり現代機器は、凄く私たちのトレーニング内容のグレードアップ化にフィットしており、使わないなんて本当にもったいないもの。面倒くさがってる場合ではないのです。


ただ同時に、そうやってリアルに客観視すれば、理想の変化を実感できるかといえば必ずしもさにあらずという場面は多い。真摯に再生と向き合っても、なかなか変えられない、変えることができないという、目に見えない壁もあったりする。

これが、再生機器の限界かと思うことすらあるのです。


冷静に考察してみる。再生練習のプロセスとは、

♪まず吹いて録音する → ♪録音を聞いてみる → ♪ああ吹くとこう聞こえているのかと確認する → ♪では、よりよく聞こえる吹き方を考え → ♪あらためて吹いて録音する

これの繰返し。

つまり、とりあえず自分がやってみたことと現実を比べて、そのギャップを埋めていくというやり口です。

ここで大事なことは、自分の理想像の強いイメージと、リアルタイムに活躍する耳なくして録音と再生を繰り返しても、決してその人の現実の世界を大幅に変えていくというのは無理だということ。

つまり、あくまで吹いている時の自分の状態こそが大事で、そこの奥深くを見つめ必要なことに気づいていけるかどうかは、やはり個人差がある。実際録音を聞く耳以上に、リアルタイムの耳の集中力が大事で、そこを、録音を聞く時にと後回しにしては意味がないのです。


録音も録画もままならない時代に素晴らしい音を出し、感動的な演奏をする人がいたという現実。そして、そんな人たちこそ、操作段取りがどんなに面倒くさくても、再生の音がずいぶん現実とかけ離れていても、ある物を熱心に活用して確認していたという事実。

その両方を知ることが、私たちには必要なことなのだと思います。


選定。N響、第九初日。
選定から第九へ向かう東横線車内。僕の隣に立つ二人の女子高生が 「私、実はルークのお父さんがダースベーダーだってことくらいしか知らない」「私もそれくらい。レイアが妹らしいとか」、と話し合った後、二人で一緒に小さい声でダースベーダーのテーマを歌っている。彼女たちの共通の友人でベーダーと呼ばれている女子がいるということは自動的にわかった。宇宙は広く、詳しく知られてなくても増殖し続けるベーダーの実力は、ベートーベンを凌駕する勢いだ。車内には第九を歌う人は、JKどころか誰一人いないのである。

posted by take at 17:48| 活動報告