2015年12月19日

集中・熱中・没頭


集中できる (してしまう) ことが、長続きすることですね。逆に言うと、集中出来ないことは途中で止めてしまう可能性が高い。

この1500日以上書いているブログですが、ほぼ電車での移動時間に書いてきました。東京に暮らしていると、電車で一時間から一時間半の移動は当たり前で、丁度品川で書きはじめなんこやで書き終わったりする。

その間は実は物凄く集中しており、途中で池袋や赤羽、大宮の駅に停まっているはずだが、まるで気づかない。

「みなみふるやあ〜みなみふるやあ〜」

のアナウンスで、

「おっ!着いた」

と慌てて降りることも。一時間以上の時間感覚がなく、気付くと長文のブログが仕上がってたりする。我ながら、没頭してるんだなあと思う。だから続いているよう。これが、

“ああ、赤羽かあ。あそこのつけめん、最近食べてないなあ”

なんて思ったりするのなら、とっくに止めてしまっているのでしょう。


僕は、やはり長く続くこと、つまり集中してしまうことを生活の柱に暮らせると良いと思っています。気が散らないこと。もちろん、起きている間ずっと何かしらに集中してたらクタクタになるので、ぼ〜〜っとしたり、ただテレビやDVDをインプットするだけの時間はあった方が良い。

しかし、自分の生活の真ん中に流れているやるべき柱なんてものは、


ガッツリ没頭

チンチンに熱中

時の流れを忘れるくらい集中


できることがいいですね。そうなるかどうかは、やはりくどいが、今を一生懸命生きているかどうかに尽きる。

「いつか自分のやりたいことが見つかったら」

と言う人がいるが、実はやりたいことというのは、私たちの日常で既にたくさん出くわしているのだと思います。

常に一生懸命生きていたら、それらに対するアンテナが敏感になり、自分が少しでも得意なことに没頭する方向へ、自動的に向かうのだと思います。ただ、だらだらと他力本願的に生きていたら、与えてもらうことばかり望むようになり、自分の趣向に対しての観察力が鈍くなり、魅惑的なアイテムをどんどんスルーしてしまうようになってしまう。そうやって、常に無い物ねだり的に希望ばかりもち、やはり集中出来ない人生の時間を送ってしまう。


ずっと続けられることこそ、奥深い世界への変化を楽しみ続けることができる。集中できるかどうかは、集中力のあるなしではなく、出会うべくして出会うのかどうか。

それこそが、自分の幸せに直結してるのだと思います。


川越へ。

posted by take at 16:46| 活動報告