2015年12月02日

レス・エイジレス


あるアメリカ在住の日本人。一時帰国した際、否定的に捉えたくなることのひとつとして

「日本人は年の話ばかりする。アメリカでは年齢の話なんかしない」

というのを見ました。意識したことなかったので驚いてしまいましたが、納得できる部分はあります。

日本人は低年齢、とくに若い女性をもてはやす風潮があるし、 “幼児感覚的かわいいもの好き”という国民性は、明らかに欧米と違うところ。同時に高年齢者の真価を “年をとっているから” という理由で、低く見つめる気運さえ感じる。敬うより同情みたいな。

自らも

「もう二十歳、十代の時とは違う」 「三十になっちゃった」 「四十はもうおじさんだよな」 「こんなおばちゃんつかまえて」

なんて言って、「そんなことない、まだまだだよ」 なんて言葉を期待したりする。かく言う僕も、今年五十になるタイミングで、去年からそれなりに騒いでいた。

「もう半世紀、これから先は……」

なんて。


そんな僕は、この数ヶ月、あまりに輝いている年長者と絡むタイミングが何回かありました。

まず、ホルンアンサンブルソノーレでの七十代カルテットの方々。そして、沖縄で会った79歳の現役ビッグバンドプレイヤー。N響では、80代、90代の素晴らしいマエストロたち。皆さんとてもお元気で、活力と生きるエネルギーに溢れていた。

そして僕は今年度、実は64歳の大学一年生を迎えている。第二の人生とばかりトロンボーンに熱心に取り組む彼に、演奏と音楽を伝え、人生を教えてもらうという特別な時間になっている。

そんな彼に、最近お会いした素晴らしい年長者たちの話をした時、逆にとても興味深いコメントをもらうことになった。

「先生もそうですよ。若い学生たちに話すのを見ていて、驚くほど若々しい内容だったり、時には実年齢よりずっと上の方のような発言だったり。先生の年は不明です」

これは当然リップサービスだと思うが、この後の言葉が僕の心に深く残ることとなりました。

「先生。年齢がどうというよりも、いくつであっても熱意と活力に溢れている人はずっとそうなんです。私の周りでも、定年迎えようが、70になろうが80になろうが、やっぱり何かしら仕事をしていて、そんな人はどんな人よりガンガン進んでたりします。逆に元気のない人は、若い時からずっとない」

たけ 「エイジレス(年齢に拘らない、年を取らない)ということですね」

「いやあ最近は、そんな年齢と関係ない生命力溢れる人が周りに増えている印象です。私は、そのうちエイジレスという言葉も無くなるんじゃないかと思っています」

僕は少しびっくりし、そして小さく感動していた。


若き頃、亡き父親に

「武典、人生には頂点があっての、その時は気がつかんのやけど、下りだしてしばらくして、あのときかと振り返ったりするんや」

と言われたことがあり、なんとなく栄枯盛衰的イメージをもっていたが、そうではない価値観が、年齢感覚を無くすだけでなく、「年齢なんて関係ない」 という価値観すら無くすということだと捉えました。

確かに、時間と共に見た目と体力、回復力は変わる。これは現実だ。しかし、これすら衰えていると捉えるのではなく、変化していると考える。実際その変化と共に、若い頃よりより現実的なケアや生活リズムを手に入れていくし、安定感なんかは、ある意味後半の時間の方がある気もします。

私たちの人生の目的は、

『充実した幸せな時間を生ききること』

だと思います。それは、年齢関係なく、実践できる活力のない人は若い時からずっとないし、生命力に溢れる人はずっとあり続けている。この最重要課題においては年なんか関係ないのだから、エイジレスなんて感覚自体不要だと。

なるほど。年甲斐、年相応というのは、見た目や生活パターンをどうするかという、自分自身に向けた課題の問題で、本来はコミュニケーションツールとして語ったり、問題視することではない。

実際、僕は前出のスーパー年長者に対して 「あの年にしては……」 なんて感じていた。失礼な話。


人生の目的を達成する種は、時間の流れは関係なく、そもそも自分の心と身体の中にあるかどうかのようである。


沖縄県芸。レッスン。

posted by take at 17:47| 活動報告