2015年12月01日

神の意識


『ショートとフリーで史上初の300点超え、二位と50点以上の差をつけて優勝』

スケーター羽生結弦君のニュースが、いつにない特別な光を放っている。

「別次元」 「神の領域」

というワードが非日常を呼び起こし、「絶対王者」 「血の滲む努力」 という本人の口から出た言葉も、素直に受け取れるような興奮を、本人もだろうが、日本全国が静かに受け取っている。

「彼はどこまでいくのだろう」

そんな感想が見えた。天才という言葉の更なる向こう、そんな領域があるのかとすら想像させられる。まさに唸るばかり。


彼を分析した言葉として

「才能」 「センス」 「技術」 「表現力」 「メンタル」 「努力」 「人間性」 「出身である被災地に対する思い」

等が語られるのだろうが、そのどれもが、彼に追随しようとするスケーターたちにとって無駄な言葉なのだと思う。そんなことをいくら研究し、たとえば真似ようとしても、決してたどり着けない気しかしない、そんな点数であり、美し過ぎる完成度を見せられてしまった。

僕は、上記のようなポイント、たとえば技術やメンタルが、彼の成功の根っこではない気がしている。

ここ最近考察を深めている

『自分の意識のありどころ、持続し集中し続けるべきそのポイントの的確さ』

だと思っています。

きっと全てのスケーターたちは、彼と比べると多かれ少なかれそれがずれているのでしょう。

これはイチローにも感じるし、バボラクにも感じるもの。僕は生演奏を聞いたことはないが、先日聞いた、内田光子さんへの特別過ぎる賛辞を考えると、彼女もそんな的確な意識を持つひとりなのでしょう。

この集中し続ける意識は、同時に薄くなってしまうその他の項目たちを生む。ゆえに必要に感じがちなあらゆるポイントを消去法的に考えていき、唯一必要、かつ自然にあらゆる項目が研ぎ澄まされていくものを探せば見つかってくる。


僕の考察では、羽生君の意識は、最初から最後まで、

【審判員の目と全く同じ精度で見続けられる客観視として、自分がどう動いているかを確認し続けること】

のみに使われているのだと思います。子供の頃からそうなのでしょう。そういう意味では、結構周りからの目に対して気にしぃなのだと思う。

その意識が自動的に理想を生み、技術に繋がり、成功へと導いているのだろうと感じています。

他のスケーターが、滑りながら技術のことを意識したり、ジャンプの仕方を準備したり、スピンの仕方を計算しているとき、彼の意識は、自分がどう見えているのかのみに使われている、その集中力たるや凄いのだと思います。

逆に言うと、凡人から普通の天才までが意識しがちな沢山のポイントには、他が薄くなるがゆえに失敗を導くリスクがあるのだと思います。



羽生君のことを考えていたら、コミュニケーションマスターになる極意も見えてきました。コミュニケーションが上手くなるためには、自分の意識はどこにのみ集中すればよいのか。

生徒に訊ねたところ 「相手の言葉をきちんと聞く」 とか 「相手の立場に立つ」 等の意見が出た。これらは模範回答っぽいし間違いとは言えないが、おそらく微妙にずれている。コミュニケーションマスターになる為の意識のツボとは


【相手の目と心には、自分がどう見えているのか】


に尽きる気がします。そこにのみ集中し続ければ、絶対上手くいく。これは決して、自分を抑える、自分をころすという意味ではありません。

実際皆さん、ありますよね。

“この人、こう言って(表現して)こちらがどう思うかとか考えないのかなあ”

ということ。その逆こそが、唯一の理想の意識のありどころだろうと。


最近の若者たちの悩み、閉塞感、心の病を見ていても、人生における的確な生き方ということを、深く考えざるを得ない。人生を流れる意識の中心、その位置。

これはやはり

【今を生きる。先のことにはさほど深刻にならず、今目の前にあることに全力で取り組むだけ】

に尽きるのだろう。

このことに関しては、また書かせてください。


トロンボーンとマリンバのユニット 『トロマリ』、合わせ。

皆さん、今月10日、19時、サントリーの小ホールにて、槌音チャリティーコンサートがあります。古都三景の京都とア・ソング・フォー・ジャパンをトロマリでやります。改めて被災地へのエールを、是非お願い致します。

posted by take at 15:39| 活動報告