2015年12月11日

落葉広い

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代々木公園も、NHKホールにゲネプロに向かう今朝は、雨風が強かったんです。

ちょうど季節のタイミングなのでしょう。イチョウはじめとした木々の葉っぱが、強い雨で落ちる落ちる。少し雨が和らいだら今度は風。葉が中空を舞、視界のパノラマいっぱいに広がるのはそれはそれは壮観なはずなのですが、なにせ雨。濃いめのグレーな雲の色がバックでは独特過ぎる世界観だし、何より雨で見渡すのが難しい。濡れた葉っぱが降り注いでくるのも、あまり気持ちが良いものではなかった。

ホールに入る直前、少し晴れ間が見えた。天気予報では、雨がやみ気温が上がると聞いていた。


ホールにこもり、長い長いマーラーの三番のゲネプロを終える。それなりに、神経は消耗したが、本番までの間に川越へ行かなければならない。室内楽発表会のトロンボーンアンサンブルを聞いて、成績をつけなくてはならない。

「雨、降ってないといいなあ……」


ホールを出ると、予報士の予告通り青空が広がっており、そして

「あ、暑いがな……」

蒸しっとした空気の中、ホール側から信号を渡り、再び代々木公園の中へ。いつものように、自然とたわむれるコースを歩き、原宿を目指すのです。

公園の小さな入り口を入り土の上を歩く。まだ濡れているところもあるので、そんなぬかるみをよけながら。

10メートルほど行くと、突然目の前に、黄色い黄色いいちょうのじゅうたんが広がりました。

瞬間絶句、直後に心がつぶやく。

「き、綺麗………」

土の上、木々を囲むように広い範囲、美しい黄色が眼前に、パノラマとなって現れたのです。


これは、午前中の雨風が作った自然の産物。サンゲツ(カーペットメーカー)も真っ青な、美し過ぎるデザインだ。同じ葉っぱでも不快感すらあった午前とのギャップが、余計感動的な気持ちをあおっているよう。

やっぱり自然って凄い。あまたある名画を生み出す芸術家たちの感性を軽く越え、彼らのジェラシーと生涯をかけた意欲を呼び起こすが如くの色の力。そんなじゅうたんを前に、しばし立ちすくむ。

足元が、水を含み柔らかくなった自然の土の感触だったことが、この美術館を一層魅力的なものにしてくれました。


学生たちよ。演奏も頼むぜよ。


川越へ。N響定期。

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2015年12月10日

槌音コンサートです

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槌音チャリティーコンサート。19時開演。サントリーホール・ブルーローズです。

トロマリ東京デビューになります。 東京交響楽団の綱川淳美さんのマリンバとのコラボ。今日は、ア・ソング・フォー・ジャパンと、古都三景の京都をやります。


大槌はじめ、被災地の復興はまだまだこれから。是非皆様御一緒に、一日も早い東北の幸せを願いましょう。


N響定期、練習。槌音チャリティーコンサート。

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2015年12月09日

その日暮らしのすすめ


「今を生きる」

という言葉がある。僕は永らく、この言葉の真意がわかるようなわからないようなだった。まあわかってなかったんです。「来年のことを言うと鬼が笑う」 とか。

実際僕の生活では、来年のことを考えて様々準備することは多い。コンサートのプロデュースをしたり実現したりという道程は、基本半年以上、もっとかかるのが普通で、だから来年のことはよく話す。鬼も大爆笑だ。

若い学生たちには 「君たちは未来に希望も不安もあるだろうが、そんな凄く先のことは考えず、ただ、少しだけ先のことは考えて。今が良ければいいは駄目だから」 なんて言っていた。

しかし、それでは大事なことが根本的にわかってなかったのだと気づきはじめたのです。


「夢をもてなんて投げ掛けはナンセンス」 「数十年前は、生活の安定なんてままならなかったから、それと向き合って頑張らざるをえなかっただけで、今みたいになんでも満たされている時代とは違うわけで……」

最近そんな意見を、いくつか見る機会がありました。更に、悩むことに対してよりダメージを受けがちで、迷宮に入ったり、気持ちの病にかかる若者たちの心を考えていくにつれ、改めて 「今を生きる」 という言葉の真意を正確に理解しなければならない、更にその価値観をもとにコミュニティを形成し生きていくということの重要性を強く感じています。


実際自分の人生を振り返ってみた時、

“音楽と演奏を辞めずに継続できているということは、ある程度うまくいってきたということ。若き頃から常に未来への夢と希望をもって、ぶれずにやってきた”

なんてイメージが浮かびやすい。しかし正確には、その都度その都度目の前にあることを一生懸命やってきただけで、実際人生の夢なんていう強い希望に相応しい未来へのプロセスを、知的に計画的に考えながら進んできたのかというと、そんなんじゃない。実は、自然となるようになってきた現実を、後付け的に 「夢が叶った」 なんて言っているのだと、ようやく気がつきました。


実は20代から30代前半の頃、雑誌等のインタビューの 「いつから演奏家になろうと思ったんですか?いつ頃からオーケストラに入ろうと思ったんですか?」 という質問に対して、

「はっきりと憶えていません」

と応えていました。これは正直な言葉。しかしある日のこと。高松で、中学生の時の知り合いに会った時

「吉川君、良かったね。夢が叶って」

と言われ、キョトンとしていると

「だって、オーケストラ入りたいって言ってたじゃない」

と言われ、そーだったんだとびっくりしたことがあったのです。それ以降、質問に対して 「中学生の頃から、夢見てました」 なんて言ってたりした。

しかしよくよく考えると、本当に唯一無二の強い将来への夢だったかどうかは怪しい。だって本当にそうだとしたら、そんな頃のことを忘れてるなんてあり得ないと思うのです。

僕にとっては、毎日トロンボーンを吹くことが何より楽しいことで、上手くなりたかっただけ。先のことは、周りからプレッシャーがかかればしょうがなく準備を始め、コンクールだってオーディションだって、周りが受けてるから受けたみたいなノリもある。そのいくつかがたまたまうまくいき、なるようになる的に今まで来たのが現実です。つまり自分で先のことを真剣に考え、それを早くから計画的に準備し、周りが納得するような優等生的プロセスを辿ってきたわけではない。

ただ、その都度勉強はじめ他のことはほったらかしにしてまで、トロンボーンだけを一生懸命やってきたことだけは確かだ。それは自分の本能がそうしたかったのだし、結果の出ない他のことより、なんとなく得意に感じ、先へ先へと進みたくなる、ある意味なかなか言うこと聞いてくれないこの楽器を征服することに、毎日躍起になってきただけの人生です。


それでもあの頃も、家庭や学校、社会からのプレッシャーは十分にあった。現代と違うのは、あの頃の方が選択肢が限られていたこと、インターネットも携帯もないので、未来へのプロセスを考えろと言われても、ぼや〜っとボケていた部分が多く、わからないことはわからないので

「ま、いっか。後にしよう」

なんてことも多かったことです。それが許されるムードが社会全体にあった。

それと比べると、現代は全てがクリアー、かつスピーディーなので、若者の未来へのスタンスもこれらが求められてしまう。

しかし、ちゃらんぽらんなところがある人ほど深く考えず行動を起こせるわけで、真面目な人ほど深刻に考え込んで先に動けなかったりする。(茂木健一郎さんの言う、すぐやる脳とぐずぐず脳) そしてちゃらんぽらんな人はちゃらんぽらんなのだから、実はそんなにスピードとクリアーな情報を要求されても、多少は時間がかかる。というか、そんなに全てをテキパキはやらない。


つまり、いずれにせよ時間がかかるのです。


だからこそ、先のことにあまり深刻にならず、今目の前にあることを一生懸命やればよい。それが、今を生きるということなのだと思います。

一生懸命やってたら、何かしら結果が出る。良い結果が出て嬉しくなり先へいけそうなら、またその時やるべきことを一生懸命やればいい。良い結果じゃないなら方向転換するか、もう一度チャレンジすればよい。そうしているうちに、道が開けてきて、その道を歩いていけばいいだけ。

そんな人生を、しばらくたって振り返り、夢が叶ったなんて言ったりしてるだけ。叶わなかった夢予備軍的希望もたくさんあったのでしょう。


それでも、全ての人が金持ちになったり、見るからに成功者になれるように世の中は設定されていない。だから、失敗したり方向転換もたくさんあって、そんな人たちで構成されているのが社会ですよね。

だから、若者から自分まで、先のことにあまり深刻にならずに、今目の前にあることを一生懸命やればいい。結果も出たり出なかったり。でも、そのうちなんとかなるだろうし、なるようにしかならないのだから。


N響定期、練習。川越へ。

posted by take at 21:41| 活動報告

2015年12月08日

シベリアンは好きー 年末編


いずれにせよ、シベリウスの交響曲は素晴らしいと思うのですがね。

え? どれか一曲??

困ったなあ。いや、困らないかなあ。

やっぱり六番かなあ。あの冒頭、一楽章の構成、流れからフィナーレの終わり方まで、なんだか好きなんですよねぇ。綺麗っすよね。凄く。あの、さわると壊れそうな繊細さがいーなー。

あと三番かなあ。N響でもやらないんですけどね。今年をもってしてもやらなかった。でも、いいんですけどね。凄くいいんだけどなあ。

トロンボーン吹きとしては七番を言っときたいですし、ブロカートでやった時

「ほんとーによくできた曲だなあ」

と思ったので、もちろん好きですけど、次は一番かなあ。

一番いいっすよね。いろんなとこがいいっすよね。なんだか、綺麗で温かいとこもあるし、激しいし、チョーロマンだし。またブロカートでもやりたいね。一番最初にやったので、指揮が酷くてね。やり直したい。

こないだ、ブロカートで五番やって、やっぱり良かったね。一楽章の展開からの爆発や、フィナーレの最後の方の、音たちの重なりあいの叫びなんてたまんないす。あー、たまんない。

あ、二番ね。こりゃ名曲ですよ。そらやりますし。よくやります。学生もやってた。いろんなとこがいい。盛り上がるしぐっとくる。

四番はね、ちと難しい。カラヤンは凄く大切に思ってたし、指揮すると消耗するって言ってたらしい。僕ももう少し聞いて、大切に思えるようになりたいね。


ラトルは、ドイツ人とドイツの国にシベリウスの素晴らしさを植え付けたいようですね。シベリウスはドイツを愛してたけど、最初は彼を評価していたこの国が、途中から辛くなったみたいね。だから片思いみたいになっちゃって。ラトルは、自国のイギリスを

「西フィンランドです」

なんて言って愛を表してるね。


僕もね、言っちゃおうかな。

「日本は、斜め裏フィンランドです」

なーんて。ま、シベリアンの遠吠えですわ。


N響定期、練習。
そんなシベリウスな一年も終わりますね。

posted by take at 18:24| 活動報告

2015年12月07日

頭寒足熱


こんな季節、そして冷え性の人は特に意識する『頭寒足熱』ですが、辞書には

「頭部を冷たく冷やし、足部を暖かくすること。また、その状態。このようにすると健康によいとされる」

と、ざっくりとしか書いてない。興味あって調べていたら、とあるお医者の分かりやすい文章がありました。


『人間の体温は、上半身が高く、下半身は低くなっています。サーモグラフィの画像で見ても、上半身の体温が高く、下半身の体温が低くなっています。 この上半身と下半身の体温の差を、できるだけ小さくするというのが「頭寒足熱」です。ためしに、足の小指を触ってみてください。冷たく感じませんか。人間の体でいちばん冷たいのが、足の小指です。触ってみて、冷たく感じなければ「頭寒足熱」状態にあると考えられます。触ってみて「冷たい」ようであれば、「頭熱足寒」であるといえます』

なるほど。身体全体の話というイメージがわきやすい。更に

『多くの病気は、「頭熱足寒」の状態が続くことから生じてきます。東洋医学でいう「冷えのぼせ」の状態です。上半身、とくに頭部がうっ血して紅潮し、のぼせ感があります。反対に、下半身は虚血の状態で冷たく、とくに足や足の指が冷たい状態です。この「頭熱足寒」状態を解消して、「頭寒足熱」の状態にすることが病気の予防と改善には大切なことです。そのためには、血液の循環をよくして、血流によって体を温めることしかありません』


お〜、わかりやすい。


で、シンプルにシャワーではなくお風呂にとか、湯タンポなんかも勧めているが、僕は最近ヒートテックタイプの靴下にハマっています。ただ、たまたまユニクロではなく、イーオンのだったり他社のだったりするんですが。

外にいると、地面や外気の冷たさを足先がガンガン感じているのがわかる。温かいなあとまではいかないが、でも薄手の靴下よりはまだ良いのだろう。

温かい部屋にしばらくいると、明らかにポカポカ感じることがある。低温とはいえ自分の足の熱を再利用している実感があるんです。

何年か前は、更にヒートテックすぼん下(平成と昭和のハイブリッドワード)もはいていたが、どうも根性なし度が高すぎる気がするのと、逆に温か過ぎてぼ〜っとする時もあり、最近はやめている。下半身とはいえ、全面的に温めると、逆に巡らない気がするのだが、それは間違いだろうか。

いずれにせよ、「頭熱足寒」 が駄目というのはわかりやすい。足先をなんとかして温めて巡らして、温度差をなくして。頭は、まあ無理やり冷やすこたーないのでしょうが。


……あのー「頭寒」ですけど……髪の毛ない人は特によく冷えて巡ってるんでしょうか?


川越へ。

posted by take at 10:14| 活動報告