2015年12月26日

本根


本音で話せる人がいないととても辛いことでしょう。また本音をぶつけてるのに、心底理解してもらえてる感覚が得られなかったら、やはり独りぼっち感は強く辛いでしょうね。


相手の本音は、まず信頼関係の有無で目の当たりにするかどうかが決まる。そして本音で話してきた時、自分がどう反応するかで、相手に、辛さが生まれるか幸せが生まれるかが分かれてしまう。

相手の意見に全面的に同調、そこへ至った経緯を認めれば、概ね辛さは生まれないでしょう。

ただ言っていることが違うと感じた場合、それでも相手を尊重すれば問題ないが、自分の意見の方へ導きたい、ある意味自分の希望の方を相手のものより通したくなった場合、結局本音を投げたこと自体悔やまれたりもする。

「言うんじゃなかった」

みたいな。

そうは言っても、なんでも同調すればよいわけでもなく、自分自身が本音でしゃべらないと、向こうからもうわべだけの言葉しか出てこなくなったりする。つまり違うと本音で思った時、ある程度そう表明しないと、これまた会話も気持ちも滞るもの。


結局、相手の“意見”と“希望”のふたつを、分けて的確に把握し、TPOで言葉を使い分けることが大切になる。

じゃあ、自分の本音じゃないことも言うことになるじゃないか?

場合によってはそうでしょう。言葉の音としての本音ならそういう時もある。これが、本音であろうが建前であろうが、言葉の限界なのだろう。

大事なのは、心根という本音。相手のために砕くことができる心の根を持ち合わせているかどうか。それが本当に根として自分の心に存在しているのか。そんな本音があるのかどうかに尽きる気がします。


N響、第九。

posted by take at 17:10| 活動報告

2015年12月25日

国産奏者毎日の取り組み


楽器入れから伸縮性中低音担当金管楽器の伸縮部を取りだし、口片を差し込む。拡声部も差し込み組み立て終わったら、毎日の準備吹奏に入る。

まずは口片だけで振動を起こす。僕は口ならしというより、口片だけでも楽器を吹く時と同じように美しい音を出そうとすること、またきちんと音程を出すことにより、自分の音程感覚を利用し吹奏することを大切にしている。

それが終わると普通は長音に入るが、僕の場合は、全音程吹奏的伸縮往復をいくつかやることにしている。様々な音域でのこれが終了したら、いよいよ長音にとりかかる。この時、やはり美しくかつ正確な音程を心掛ける。

それが終わった頃、一度携帯電話なんぞを開いてみる。世の中はほとんど洗練電話機を使っているが、僕はまだ開閉型外国某島風電話機を使っており、それで顔本なんかを覗き、いいねと表現したり、気に入った記事を自分の時間線に共有分けしたりする。

また、電子手紙を読んだり、その返事を書いたりもする。

再び準備吹奏に戻り、今度は口滑らか音移動の練習だが、僕の場合いくつかの変形型もあるので、広い音域まんべんなく丁寧にやる。

それが終わると、口特急往復移動音の練習をする。これは、四位置のへ音とと音の往復から始め、半音づつ上がり、最後は高変ろ音と高は音までやる。

最後に音階を全調。長調は、は長調から半音下記号をひとつづつ増やし、途中で半音上記号に転じてと長調まで全てやる。短調は、和声的い短調から、ほ短調まで。そして旋律的もやる。

準備吹奏が終われば、もうこっちのものである。

管弦楽合奏だったり、様々な室内楽、金管五重奏や伸縮性中低音担当金管楽器四重奏、生徒個人指導だったり生徒複数指導、洋琴との合わせだったり、もちろん我独吹奏だったり様々。


一日が終わると楽器入れに片付け、お酒を飲みにいく。麦酒や日本酒、焼酎や高玉、麦芽味割焼酎、葡萄酒や私達好等、様々な洋酒まで楽しみ、家族や友人、生徒たちと楽しく会話し、きちんと帰宅。睡眠に入る。


翌朝、再び楽器入れから伸縮部を取りだし、動きが悪い場合にはOーミックスを………あっ!!!


KSK伸縮性中低音担当金管楽器集団演奏、指導。N響、第九。

posted by take at 20:48| 活動報告

2015年12月24日

ツボの話のツボ


最近、学生たちとツボについて研究している。音色や音程、音質は大事だが、それらに対してツボは大きく影響があると思うからです。

あ、音のツボね。壺の研究じゃないです。


ツボといえば、沖縄でこんな会話がありました。

たけ 「〇〇さん誕生日だったよね。何かプレゼントしたいんだけど、何がいいかなあ。弟子の君ならわかるでしょ、〇〇さんのツボって何?」

A 「え?ツボですか?」

たけ 「そう、好みのツボ、好きなもの……」

A 「あ、好きなものですか。〇〇先生、ネコが好きですね。飼ってますし」

たけ 「そっか、ネコね。どこかネコグッズ売ってるところある?」

A 「えっと……ネコですよね。普通の壺売ってるとこはわかるんですけど、ネコの壺があるかどうか」

たけ 「ちがーーーう!!!!!」



日本人がツボって言葉使う時、なんか神秘性やファンタジーみたいなもの感じてませんかね。東洋医学としての身体のツボというのも、なんとなく不思議なポイントとして見つめてるみたいな。

楽器のツボも、的確に探すのは難しく奥深い感じがするが、やはり秘境を探検するが如く冒険者の気持ちで求め続けたい。


生徒 「え?楽器の壺ですか?どこに売ってるかなあ??」

たけ 「ちがあーーーう!!!!!!」


ソノーレ、忘年会に参加。イブですが何か。

posted by take at 20:23| 活動報告

2015年12月23日

瀬戸の話読め

2015122216120000.jpg      2015122216130000.jpg

昨日選定した部屋、その壁に、凄く大きな西日本の地図が貼ってあった。西日本というか、センターは四国であり、中国地方や九州が周りに少しづつみたいな。どうも瀬戸内海中心に海をピックアップした地図のよう。四国の東西だけで1メートルはあろう、がいにおっきょいぶんだった。

たけ「これ、僕が来るから貼ってくれたの?」

野中貿易H「たまたまです。船に乗る社長の趣味です」

たまたまらしい。

まずは、当然旧吉川邸を探す。まあ、ほとんど海から距離のない所で生まれ育ったことがわかる。そして、少し離れて全体を見つめた時、僕はとんでもない過去からの認識の過ちに気づくことになった。


僕は今まで、紀伊水道、播磨灘、豊後水道、伊予灘等、もちろん太平洋含め、四国はなんとなくきれいなリングのような海に囲まれているのだと勝手に思っていた。

それがあーた!!

現実は、長い長い淡路島が紀伊水道と播磨灘を分断するようにとおせんぼしており、方や愛媛は佐田岬半島が、豊後水道と伊予灘を遮るが如く、九州の方へ長く長〜くはえているではないか。

これではまるで、瀬戸内海は隔離されているように見える。場合によっては、長崎出島のみを開港していた江戸鎖国時代がごとく、瀬戸内側隣接県ズが、海からの外敵の進入を拒み、島や半島で海を塞ぎ、狭い海峡に関所を儲けているようではないか。


関所があるのは徳島側が鳴門海峡。ここでは海の中にプロペラを配置し、世界三大潮流といわれるほどの回転型乱波を作り出してまで侵入を拒んでいる。兵庫側は明石海峡。いずれも、この地図で見る限りでは、魚一匹が通るのにも困難をきわめそうな狭さだ(要ツッコミ)。

そして愛媛側は豊予海峡。このまま半島が伸び続ければ、いずれ四国と九州は繋がり、こちらからの侵入路は完全に塞がれてしまう(要罵声)。

本州と九州はもうなんだか繋がってるようなもんで、下関の所は複雑に入り組んでおり、魚は途中で泳ぎながらめまいがするため通り抜けたものはいないという。


つまり、香川、愛媛、大分、福岡、山口、広島、岡山、兵庫の連合軍は、自分たちだけの瀬戸内海とするために、密かに(?)水路を塞いでいたのだ!!!!


瀬戸内海で生まれ育った生え抜きのジモギョーは、この居心地の良い海を離れるつもりはないからまだいいが(ファインディング・ニモのモデルになった)、回遊組含め、憧れの瀬戸内海を一目(?)だけでも泳いでみたいとやってきた魚たちは、関所の厳しい詰問&圧迫面接に引き返してしまうものも多いらしい。


そんな瀬戸内海だが、20世紀の後半、シャチが主役の『オルカ』というハリウッド映画が上映された時、いるはずなさげなシャチが目撃され、『ジョーズ』が上映された年にはホオジロザメが現れている(本当)。

あの頃は、外貨欲しさに関所でも不正が相次いでおり、映画の宣伝を禁止していた瀬戸内連合の通達を無視して、ヤツラを通した関所関係者の罪は極めて重いものがあると言われている。


N響、第九。

posted by take at 13:22| 活動報告

2015年12月22日

録音録画の可能性と限界


練習に録音や録画を盛り込み、自分の演奏の改善に利用すれば当然効果がありますね。

それらの道具としての現代の機器たちは、再生クオリティが大変に高く、とても扱いやすく、しかもかつてよりリーズナブル。

扱いやすさに関して一番思うのは、チャプター別にタイムラグ無しに自由に再生できること。かつてのカセットテープ、ビデオのように、再生したいところまで “巻き戻す” ことはもうなくなって久しい。この巻き戻しが当たり前だった時代、それはそれで更なる以前よりはハイテク感を感じていたが、今の形に慣れてしまうととてもとても。もう今はその作業はかなり面倒くさく、更に時間の浪費と感じるだろう。

つまり現代機器は、凄く私たちのトレーニング内容のグレードアップ化にフィットしており、使わないなんて本当にもったいないもの。面倒くさがってる場合ではないのです。


ただ同時に、そうやってリアルに客観視すれば、理想の変化を実感できるかといえば必ずしもさにあらずという場面は多い。真摯に再生と向き合っても、なかなか変えられない、変えることができないという、目に見えない壁もあったりする。

これが、再生機器の限界かと思うことすらあるのです。


冷静に考察してみる。再生練習のプロセスとは、

♪まず吹いて録音する → ♪録音を聞いてみる → ♪ああ吹くとこう聞こえているのかと確認する → ♪では、よりよく聞こえる吹き方を考え → ♪あらためて吹いて録音する

これの繰返し。

つまり、とりあえず自分がやってみたことと現実を比べて、そのギャップを埋めていくというやり口です。

ここで大事なことは、自分の理想像の強いイメージと、リアルタイムに活躍する耳なくして録音と再生を繰り返しても、決してその人の現実の世界を大幅に変えていくというのは無理だということ。

つまり、あくまで吹いている時の自分の状態こそが大事で、そこの奥深くを見つめ必要なことに気づいていけるかどうかは、やはり個人差がある。実際録音を聞く耳以上に、リアルタイムの耳の集中力が大事で、そこを、録音を聞く時にと後回しにしては意味がないのです。


録音も録画もままならない時代に素晴らしい音を出し、感動的な演奏をする人がいたという現実。そして、そんな人たちこそ、操作段取りがどんなに面倒くさくても、再生の音がずいぶん現実とかけ離れていても、ある物を熱心に活用して確認していたという事実。

その両方を知ることが、私たちには必要なことなのだと思います。


選定。N響、第九初日。
選定から第九へ向かう東横線車内。僕の隣に立つ二人の女子高生が 「私、実はルークのお父さんがダースベーダーだってことくらいしか知らない」「私もそれくらい。レイアが妹らしいとか」、と話し合った後、二人で一緒に小さい声でダースベーダーのテーマを歌っている。彼女たちの共通の友人でベーダーと呼ばれている女子がいるということは自動的にわかった。宇宙は広く、詳しく知られてなくても増殖し続けるベーダーの実力は、ベートーベンを凌駕する勢いだ。車内には第九を歌う人は、JKどころか誰一人いないのである。

posted by take at 17:48| 活動報告