2015年12月31日

マイ・コンセントレーション


今年の終わりに一番考えているのは

『集中』

です。これこそが、私たちの人生を幸せに導く気がしてならなくなってきました。特に今年の後半にかけて、こういう気持ちが強くなってきて。


昨日歯ブラシの話を書きました。歯は当然全ての歯が大切ですが、そのケアは、たくさんを一気にではなく、ピンポイントに集中したことをまんべんなくとなるようです。

「良い道具を使って安心するみたいで、歯周ポケットまで届いてない場合が」

という歯医者の言葉から、歯垢や歯石、虫歯菌のピンポイントにまで集中しきれてない何かを感じます。昨日のポイントブラシだと、そこへ届いた一ヶ所に集中できる感覚があったのです。一ヶ所一ヶ所だと、時間がかかって面倒くさい気がしますが、同じ時間幅広くブラッシングするより、手応えを感じました。



ゆとり教育の目的と内容を少し見てみました。以下のようです。

・各学校のスタッフが、自分たちで知恵を出し合って特徴豊かな教育を行う

・生徒の学ぶ勉強範囲を絞る事でその負担を減らし、浮いた時間は生徒個人の自主的な勉強の時間にあてる

・生徒自身が、【自分で物事を考える力】を育てる事ができるよう導く。

つまり、生徒個人の自主性を伸ばす事に、目的を置いた教育だと言う事ができる。

「これらはやはり詰め込み教育の反省による所が大きいようです。基礎知識を徹底的に頭の中に詰め込むやり方では確かに、生徒の自由な想像力は伸ばせません。しかしゆとり教育に移行後、生徒の自由で豊かな発想力や想像力が伸びたというデータは、今のところほとんどありません」

という報告を見ました。これを全て鵜呑みにするわけではありませんが、今、これらを集中と絡ませて考えてみたい気持ちがあります。

わかりやすいこととして、土曜日が休みになり、子供たちに時間ができたというのがあります。その時間で、自主的に選び学べということでしょう。ただ、若いときの正月休みと同じで、無目的なら時間だけできても楽しくないし、うまく使えないものです。(疲れている大人には少しでも長く欲しいものでしょうが)

若いときの僕は正直、勉強には全く集中せず、トロンボーンと音楽ばかりやっていた。親にもよく怒られていた。友達には勉強マスターもいたし、部活動マスターもいた。文武両道もいたし、何にも興味なさげで漂っているやつもいました。

後になって、僕の人生はトロンボーンかな、と腹をくくってからは、勉強その他に集中しなかったことも 「まあ、善しとしてください」 みたいに自己弁護完結しているが、同時に勉強マスターだった人の中には、結局更なる集中できる柱なきまま大人になったのか、仕事の愚痴と無意味な社会批判を聞くだけの再会もあったりする。

詰め込み教育だろうが、ゆとり教育だろうが、自主性が大事なのは根底にあるとして、時間が自らコントロールできる年、世代であるかどうかと、積極的に集中して取り組めるような環境とは本当はどのように設定されたものなのかが、物凄く重要な気がします。

まずは、幅広いたくさんの項目がまんべんなく何でもうまく優秀に出来る人材を求めてしまうのではなく、やはり集中できることによってその人らしいことが秀でること、つまり他のあれこれが具合悪くても目をつぶり認めるような価値観の環境。

そして、ほとんどの子供たちが、なんとかしてそんな

【マイ・コンセントレーション】

に出会える環境。

たとえ出会えたとしても、時間だけあって自由過ぎる環境だと、意外と集中して取り組めないもんです。それも自分で考えろではちょっと冷たすぎるし、成長に対してあまり現実的ではない。

また、やりたいことが定まってるのに、「あれもやれこれもやれ」「どれもきちんとやれ」では、時間に追われ、項目に追われ、何より

「ひとつだけに没頭しちゃだめ」

って言われてるようで無理です。今の大学はこれっぽい。 文武両道なんてそらかっこいいけど、その方が極めて特別変異だと考えた方がいい。


歯磨きも、人生の目的の真ん中を貫く柱も、マイナンバーじゃないけれど、他の誰彼関係なく“自分が”集中できること、更に、本当に集中できるポイントと向き合えることが大事な気がしてなりません。


大人のイメージと都合で、

“社会における不備の無い横並び”

を求めるのではなく、

“みんなバラバラでも、幸せな人生の横並び”

になるような、そんな教育、歯磨きこそかなと。ただ、協調性の中からこそ学べる“個性の説得力”ありなので、バランス含め。

来年から、なんとかしてそんな方向へシフトしていきたい。こう書く僕が、やっぱり横並び重視で求めがちなので。


ベートーベン全曲コンサート。
皆さん、来年もあれやこれやうるさいと思いますが、よろしくお願いします。 m(__)m

posted by take at 13:24| 活動報告

2015年12月30日

歯ブラシ屋の回し者

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今日は、歯ブラシ屋の回し者をやろうと思います。

写真は『ポイントブラシ』と呼ばれるもので、通常の歯ブラシが届きにくい場所にも入るということで、歯間ブラシやデンタルフロスなんかと並んで、歯医者はもちろんハミガキスト、ハミガキーナの間ではメジャーな一品。最近はテレビのコマーシャルもやったりしてます。


前回、歯医者で磨き方講習を受けた時、

「これも使ってみてください」

と一本もらっていた。で、今朝初めて使ってみたのだが、これがあーた、いいじゃないの。

まず歯周ポケット、歯間に入ってる感触が、普通の歯ブラシよりリアルに感じられる。普通の歯ブラシって、凄く毛先の細いのでも当たっている面積が広いせいか、ピンポイントの実感が得にくい。それが、

“今、ここを確実に磨いているのだっ!”

という感触がわかりやすいのです

そして、これはびっくりしたのですが、奥歯の奥側(裏側ではなく)まで磨いているのがわかるのです。もちろん親知らずも実感あり。

これに関しては、普通の形状の歯ブラシでは感じられなかったこと。だからいつも

「磨けてんのかなー?」

と勘で感じていた。それがビシバシわかる。

更にポケットや歯間だけでなく、歯の腹も磨けます。きっと形状上、毛先が駄目になるのは早く割高なのかもしれませんが、まとめ買いもできそうなので。

しばらくハマりそうです。


ベートーベン全曲コンサート、練習。

posted by take at 18:39| 活動報告

2015年12月29日

バズィング


何ヵ月か前、Facebook上にシェアされていた議論バトルで、

『マウスピースでのバズィングトレーニングの是非』

なんてのがありました。あの名手リンドバーグが不要論動画をアップし、世界の名手たちが反論しみたいな。

僕は一奏者として静観してましたが、正直どちらもありだと思います。マウスピースだけでボレロやダヴットまで吹いちゃう名手がいれば、一切やらない名手もいる。きっとやっちゃいけないことじゃないし、やらなきゃいけないことでもない。

もしやらなければ上手くなれないのだとしたら、とっくに世界のスタンダードトレーニングになってるだろうし、やると具合が悪くなるのなら、とっくに悪名高きトレーニング法になってるでしょう。

ただ中高生含め、最近はウォームアップの最初にやる人が、以前よりは増えた印象です。


かくいう僕も、かつてはやらなかったが(ノーポリシー)、最近はやったりする。やってる人も、長時間じゃない人が多いし、パターンもいくつかありますね。ただ、

“ぶぃーーん”

と、ウォームアップのウォームアップとして振動させる人いれば、唇だけのバズィングで音程をとりそれをマウスピース、楽器へとシンクロさせる人、ピアノを使う人もいる。


僕は、ウォームアップ的感覚ではなく、やる価値としてふたつのことを大切にしています。

ひとつは、楽器で音を出そうとする時と同じように

“美しい音を出そう”

とアプローチすること。楽器よりは美しくないマウスピースでの出来うる限り。そうやって、気持ちが“美しくモード”に入っていくように。

もうひとつは、一オクターブ半くらいですが、音階をやることで

“自分のソルフェージュで吹く”

ため。楽器だと、ソルフェージュ使わなくても、それなりの筋肉にセッティングすれば、B♭やFがでちゃいますからね。これは、仲間のプレイヤーから教わった価値観でもあります。

美しくソルフェージュを使って導入することによって、楽器でも美しいサウンド、音楽が演奏できる心と身体になっていくようになんて感じです。


ただ最近クリニックの場面等で気になることが。マウスピースでのバズィング、随分ダイナミックに

“ブインブイン”

いわせる中高生がいて。とにかく振動させるみたいな、ポルタメントも使い音域をまたぎ結構おっきな音で。実は同じアプローチを楽器つきでやると、それは随分雑なプレーになってるのだと思います。

これは、ほとんど全てのプレイヤーが理解できていると思いますが、1日の最初を雑に吹きはじめると、もうその日、日中はパーですね。その後、もう一回丁寧なウォームアップ風トレーニングしても駄目。だから1日の最初こそ丁寧には、これこそ時空を超えた世界の常識。

楽器じゃなく、マウスピースだから気づかない雑さがあるのだとしたら、かなり怖いなあと思います。


是非の議論は意味合いの議論だと思いますが、あくまで美しさに貢献するかというポイントを、見失ってはならない気がします。振動こそが、自分を幸せにも不幸にもするものですから。


休日。
チームしゅうイン高松、トイトイトイ、そして大いに楽しんで!!

posted by take at 18:59| 活動報告

2015年12月28日

誓い新たに


震災の記憶への意識、被災地、被災者に対する関心、年々明らかに薄くなっている印象。特に、今年一年はそんなイメージが強い。

これは、震災直後に予見したことであり、正直不思議には思わないし、どこかで受け入れている自分がいる。

ただ同時に、被災地支援の継続、その柱たちはぶれずに未来へ進んでいるイメージもある。僕は大槌であり槌音プロジェクトであり、エルシステマであり音楽だが、大槌だけでも多ジャンルからの柱は向いており、他の被災地にもそれぞれそびえ立ち、未来へと向かっているはずである。

しかし、悲劇の記憶も被災者の現実も、多くの国民の日常に登場する頻度、時間は短くなり、更に濃度も薄まりつつある。

これを濃くしていくというよりは、ぶれない柱を更なる経験で鍛えながら、使命の核でもある

『社会への定期的な提議』

を続けながら、一人でも多くの支援者を増やす努力こそ、これからの責務であろう。

実際、KSKや槌音コンサート他、様々な被災地支援コンサートに足を運んだ人の述べ人数は増えてきたのだし、薄まっているにせよ被災地支援に「一度は携わった」という述べ人数も増えているはずである。

そんな人を、どんなに細くなっていっても一人でも増やし、結果多くの国民の記憶から消えきらないようにするために発信し続けるしかない。


今日は、高校生たちによるたくましい志の拳と共に、再び震災の悲劇、二万人の魂への鎮魂、生き続ける被災地の人々の未来への希望をあらためて叫びたいと思います。


海老名にて、KSKコンサート。

posted by take at 13:10| 活動報告

2015年12月27日

激おこぷんぷん丸


今朝、メールで

“げきおこプンプン丸”

を使ってみたらそれなりに時間がかかった。なぜなら、最初“激怒プンプン丸”と入れ、「違うなあ…」とつぶやき、“げきおこぷんぷん丸”にし、「合ってんのかもしれないが、なんか読みにくいなあ」となり最終完成形にしたから。まぁ、本当の正解かはわからず、ネットで見てコピペすりゃよかったんだけど、送った人たちはこれをガッツリ使っていたギャルズではないので「わかってくれるでしょう」と。

え?かけた時間はどうでもいい、他に問題がある?? あぁ、これを僕が使うことね。

そーねー、センター街ではとっくに終わってる言葉で、今は違うバージョンなんだろうね。ただ、めくるめく変わっていくギャル語の世界、ほとんどのパンコク(一般国民)が知るよしもないこれらの言葉の中で、それなりに露出のあった言葉よね。

正確には“激おこぷんぷん丸”でした。変格は、

おこ(弱め)

まじおこ(普通)

激おこぷんぷん丸(強め)

ムカ着火ファイヤー(最上級)

カム着火インフェルノォォォォオオウ(爆発)

激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム(神)。

これらの表現は「ギャル語怒りの6段活用」と言われ、2013年に派生したのだそうです。

え?そんなことはどうでもよくて、なんでお前が使うのか?

いやだからぁ、最新ではないけど古くない感じだからあ、僕辺りが使ってもいいかなあってぇ。しかしラーメンでも担々麺でも、激辛なんて、激が付いた段階でそーとーなものなのだが、ちょっと怒ってる“おこ”、“まじおこ”の上の“激おこぷんぷん丸”が、六段階の下から三番目って。

え?そんなことはどうでもいい?? そんな昔の言葉をなぜ今??

「激おこぷんぷん丸」からの派生として、

悲しい時を「ガチしょんぼり沈殿丸(ちんでんまる)」

眠い時を「激ネムスヤスヤ丸」

嬉しい時を「まじるんるん御機嫌丸」

などと呼称するとの情報もあるのよ。更に、読売新聞では、「カム着火インフェルノォォォォオオウ」について、「come」と「着火」、およびロシア連邦の火山帯である「カムチャツカ半島」を掛けたものと報じて「ちょっと知的」であるとした上で、「明らかに表記されることを意識している言葉」と論じていたりしまする。


え?暇なのか?? いや、それなりに多忙よ。そんなこと言うと「おこ」だからね、ってか、これ使った時点で怒ってねーし!!!


冬期セミナーレッスン。N響第九、楽日。NTTレッスン。

posted by take at 23:20| 活動報告