2015年11月16日

私はトロンボーンを吹いているのではない


その楽器らしくあることは大事。個性ですから。“いかにも” というらしさを強調し売りにする。ありだと思います。

同時に、普遍的な音楽というものにスタイル含め奉仕しきるため、らしさ故のマイナスイメージの方を完全に払拭すべく

「私はトロンボーンを演奏しているのではない、金管楽器を演奏しているのではないのだ。私は音楽を演奏しているのだ」

と宣言し、ストイックに突き進むもありでしょう。楽器の技術の発展、進化は、こんな心持ちから生まれる。

僕自身は両方の気持ちがあり、中途半端っちゃあそうなのだが、長い間こんな価値観たちと向き合いながら、少しずつ見えてきたことがあります。


トロンボーン以外の大多数の、本当に大多数の人からすると、らしさを強調しようが封印しようが、その楽器として認めて聞きます。

「トロンボーンじゃないみたい(凄いという意味)」

と言うのは、大体トロンボーン吹き。例えばこのタイプの先頭をいくバボラクのホルンを聞いて 「ホルンじゃないみたい」 と言うのは、ホルン吹きであり金管吹き。百歩譲って管楽器奏者、千歩譲って全ての演奏家たち。大多数のリスナーはその外におり、バボちゃんのコンサートを聞き

「ホルンっていい音ね」

と言っている。当のバボちゃんは、ホルンと言われるより音楽と言われたいようなのですが、その音楽を称える人もあとをたたないわけで、ある意味らしさと音楽という双璧において最も成功している演奏家と言える。


らしさを封印したスタンスからは、美しさが極まり、スムーズに聞ける、あまたある楽器とのアンサンブルに馴染みまくるという特徴を感じる。

永き取り組みの中で、発音のキャラクター、音程の精度、音のフォルムなど、

“トロンボーンだからこんな感じ、金管楽器ってこんな感じ、管楽器って…”

から完全に脱してみる時期があっても良いのではないだろうか。

そうすることによって、逆にトロンボーンらしさ、金管らしさ、何より自分らしさとは何かが見えてくる気がするのです。


川越へ。

posted by take at 09:38| 活動報告