2015年11月13日

センター、解放、密度


それは、ノイズという歓迎しないものなのか、それとも音楽的魅力を増幅させるエアーの音なのか。

これは、結局聞き手の印象により判断され、判決が下されるものですが、音を出している自分が勘違いせずに日々吹けているかどうかは、まことに難解過ぎる課題です。

金管はベルが “あちら” に向いているので、演奏家自らが、直接音を確認するのが難しい。たとえば鏡に向かってしたとしても、客席くらいまで離れたら、このリアルに聞こえている直接音がどのようになるのかも、なかなかに未知の世界である。

この密度は、どのくらい拡散してしまうのか。それは心地よく聞こえているのか。硬く聞こえるのか、それとも散って聞こえるのか。

昨日、バボラクのホルンデュオ(多重録音ではない) を聞きながら、たいそう上手いセカンドプレイヤーと比べ、更に上手さ溢れる魅力が光りまくるバボちゃんのホルンに、溜め息を連発していた。


集中して考察した印象としては、

・とにかく音程のセンターがはっきりクリアーで微動だにせず定まり続けている。そこがぼけていない。(これがぼけてるというのは、的が広いというのもあるが、大抵上下のどちらかに寄ってしまっているのでしょう)

・楽器が持つ音域の幅に対し、上下どちらに片寄ることなく、ドンピシャセンターで吹いている。上系に響く、下目に豊かという印象が全くない。

・そのせいか、密度の濃いセンターと広がりきった響きが、どの音域でも全くぶれず、同じように立派に聞こえる。

・その響きがくすみというキャラクターの柔らかさではなく、透明度の高い艶として聞こえる。自然に例えたなら、艶なき木の見た目やさわり心地テイストというより、森の中、静寂の湖の、純度高く輝く水面といった感じか。

学生に聞かせたところ

「ピュアに聞こえます」

というコメントが。送っている息が、全て音になっているように聞こえることによって、本来の音以外の余分なものが無いのだろうと思った。余分なものが無いから純粋で美しいと。

離れた場所で本当にいい音に聞こえるために、発信地である自分、その耳にはどのような密度、センターや倍音のキャラクターに聞こえればいいのか。

とにかく、送った息が全部もれなく音になっている、そんな印象は必要なようです。


N響定期、練習。川越へ。

posted by take at 20:59| 活動報告