2015年11月11日

おおらか!


今日の意見。決して自分がちゃらんぽらんであることを正当化しようとしているものではないのですが、結果そうかもしれず、そこいらへんは皆さんにおおらかに見つめていただいてですね、はははは………



世の中、白黒はっきりさせる波が高くなって久しい。

少しでも問題が発覚すれば、瞬時に改善すべく日本全国あらゆるところにプレッシャーがかかるし、会社におけるコンプライアンスに対する意識の要求や、教育機関でも、学則はじめルールを守ることが強く、強く要求されている。

SNS上でも、正論をかざし悪を切るというパターンは多いし、みんなして曖昧より、良し悪しをはっきりさせ、悪いことは駄目、正しいことをせよ、白を目指せよとの気運が強い。


しかし、この社会を形成している人間のほとんどが、真面目な部分と不真面目な部分、両方をもちあわせていると思うのですがいかがでしょうか。もちろん割合は個性豊かでしょうが、ほとんどの人が両方ちゃんと(?)もっている。

ある意味、真面目なだけでちゃらんぽらんなところがない人というのは、そんな社会という現実の中では、生きにくいのだろうと思います。

もちろん、不真面目一辺倒という人は、やりにくいどころかそもそも認めてもらえないでしょうから、やはり苦労するでしょうね。

結局大多数の真面目であり不真面目な人が、なんとなく生きやすいように、本来は設定されているはず、多数派なんですから。

僕のように、本人は不真面目なのに、周りには真面目正論剣を振りかざす人間もいて、周囲からは白くも冷たい目で見られたりするが、この棚上げこそ不真面目なわけで、いくらまことしやかであっても、それなりにみっともないものです。でもやってけてるのは、視線は冷たくても実は周りの心が温かいからなのでしょう。


人類は、一応社会やコミュニティをうまく運営するために、様々なルールを定めてます。しかし、守ったり守らなかったり、守れたり守れなかったりというのが、大半なはず。全ての人たちが、長い人生の時間をかけて、周りに迷惑かけすぎず自分自身で幸せに生ききるように、少しずつゆっくりと成長していく。そんなあたりが、結局人間の等身大の能力なのだと思います。


そのために、実は

『おおらかに』

という能力が人間に与えられているのだと思います。おおらかに見つめる、おおらかに判断する。お互い様におおらかに。


これは、人間にのみ与えられた才能だし、実はとても高い、高性能な能力なのだと思うのです。


しかし、社会はどんどんこの能力を放棄する風潮になっているし、そういう教育がなされている。正しいことをせよ、失敗は駄目、早期から正しい人として生きよ。ずいぶん若い世代から大人まで、そんな空気の中、心を病んでいっている人がたくさんいる。そらそうです。本来、そんなに早期から真面目にやれるように身体も心も設定されてない。

人間全員で、急に皆大真面目になれるわけがない。そんな能力ははなから持ち合わせてないし、未来のいつかはなるなんてものでもなく、いつまで経っても、人類なんて真面目であり不真面目なものなのだと思います。

だから、いくら情報がクリアーになり、みんなが自由に意見や正論を放てるような時代になっても、おおらかさという能力は、発揮こそすれ人類自ら放棄するものではないと思うのですが、いかがでしょう。


おおらかという言葉を聞いたら、嬉しくなりませんか。それは、この言葉こそが正しいという証明であるし、現代社会を生きる私たちが、見失いつつあるということなのだと思うのです。


N響定期、練習。川越へ。

posted by take at 17:06| 活動報告