2015年11月10日

脱受け身


昨日、オーケストラの授業に木管や弦の先生と共に参加し指導したのですが、学生たちのパフォーマンスを聞きながら改めて感じたことがありました。


もちろんリズムやアンサンブルとしてのバランスは大切で、奥も深くしっかりと追求しなければならないが、それ以上に個人の、音量と音の長さに対する向き合い方がとても気になりました。

気がつくと、指揮の先生に断りもせず立ち上がり、言葉を投げていたりしていました。

「皆さん、皆さんが書かれてある音量を無視してるとは思いません。思いませんが、扱い方がとても甘いと思います。雑というか。書かれてあるダイナミクスは、皆さんが思っているよりも凄く重要で、真剣に、とても大切に意識しなくてはなりません」

「全ての音を一生懸命吹かないで。楽譜上の音譜たちは平等ではありません」

「フォルテはテンションです」

「ここのピアノはテンションではありません。柔らかさです」

「ディミヌェンドで終わるフレーズが多いのですが、でも自分のパッセージで音楽を終わらせないように」

「僕には全部音が短く聞こえます。いつ切るかじゃなく、どこまで伸ばすかを強く意識して」


これらは、オーケストラの授業のことだけでなく、普段の取り組み、楽譜そのものの向き合い方の問題であり、演奏家たちが日常的に、強く意識すべきこと。

最後は、木管の先生が

「もっとみんな歌おうよ!!」

と叫んだが、その投げ掛けの根幹はそんな常日頃にある。

まずは楽譜という記号に対して、受け身、うのみとして付き合うのではなく、

「一体どういうことなのか?」

という、疑問と探究心を持つということに尽きる。

そういう意味でも、音楽をやることが受け身になっているうちは、何も見つからないし、なんにも表現できないのだと思う。

ただ、受け身であることをやめればよいだけ。一歩踏み出し、探し求め、自分の声として、意見する方に転じればよいのだ。


N響、収録。打ち合わせ。

posted by take at 22:13| 活動報告