2015年10月01日

長さの世界という宇宙


音量というのは、正確な大きさというものがなければ、記号の数だけに限定することもできない。

正確がないというのは、ピアノの大きさは何デシベル、フォルテの大きさは何ホーンとは決まってないという意味。

記号の数だけというのは、例えば楽譜の中に

pp・p・mp・mf・f・ff

の六種類書いてあったとして、音量は六種類だけで演奏されるわけではない、ということ。そもそも同じ記号が書いてある場面を、全て同じ音量で吹くなんて不可能ですし。

便宜上六種類のボーダーを定め、それそれに世界観をもたせたわけで、実は音量は、トロンボーンのスライドが生み出す音程のように無尽蔵にあり、奏者にとっても聞き手にとっても、その流れ、時間の推移によって一期一会のように派生するのが現実です。

ただ無秩序、無テイスト、無テンションというわけにはいかないので、最近の僕は

「このmf、fに近いmfで、とか、mpに近いmfで」

なんて要求したりする。すると、正調mfも含め三つの世界観に分けられるので、ppからffまでの六種類の記号から、×3の18種類のイメージを感じることができる。

ただこれも、本当は無限にあるニュアンスを限定しようとするパターンを増やしただけで、本来はそんないくつかだけには定められない。自らに要求する大きさが自然と沸き上がる、それこそが最も大切なこと。



実は最近音の長さに関しても、似たようなことを感じています。

私たちは、「楽譜に書いてある長さで正確に」 と要求することが多いが、なされる結果には、いくつかのレベルがある。

一番だめなのは、長さに全く無頓着というもの。音の立ち上がりで意識が終了してしまうため、八分であろうが四分であろうが、たとえ二分音符でも凄く短く吹いてへっちゃらだったり、曲の終わりの音を、ポリシーをもった上なんてのとは全く関係なく、やたら長く伸ばしてみたり。


次は、これが一番多いのですが、本人は正確に吹いているつもりが、実は全くそうではないもの。これは、刻めてるかどうかの問題だけでなく、伸びている音の形、その息のキャラクターの影響が大きい。

私たちは、日常のトレーニングから、音楽の様々な場面まで、極めて真っ直ぐ伸ばすことこそが重要なのですが、実はこれはニュアンスの話だけではないのです。

真っ直ぐ伸びてないというのは、イコール膨らんだり萎んだり、はたまた揺れてしまってたりするわけですね。すると、正確な長さに必要な“正確なビート”が身体の中に宿りにくくなり、インテンポや自分の理想のタイミングなどがわからなくなるのです。これが原因で、説得力のあるリズムで吹けない人はとても多い。

実はこれは、長さにも影響するのです。タイミングがわからないということは、音を切るタイミングも、実はわかっていないということ。リズム感の良し悪しだけでなく、圧力やエアーの流れのキープが生みだす正確なビートこそが、正確な長さを生みます。



今日書きたいのは、これよりも音楽的な、『更なる長さ』

音量と同じで、本来音楽を彩る音たちの長さとは、16分や8分、4分や2分、全音符など、既存の記号だけでは表現しきれないはずで、やはり無尽蔵にあるのではないでしょうか。作曲家はある程度イメージを限定し長さを定めているが、音楽そのものがものをいい始めたら、その長さは豊かな個性をもつだろう。

もちろんスタッカートやテヌートもあるけど、更に、16分に近い8分、4分に近い8分なんてのもあるのだと思います。

便宜上これらの記号に区切ったわけで、私たちもホールの響きでも長さは変えるし、フレーズの繋げ方の欲求が

“正確とはまた違う音楽的な長さ”

を生むことも重要なのです。 というか、音楽という感性、その音の長さはかくありたい。

大体短い人はいても 「長いなあ」という人はいない。

演奏する自分自身が感動するような長さは、自分の意思で定め精査する。そして、確信をもって伸ばす。それが楽譜通りはもちろんいいし、更なる個性を放ったとしても、聞き手も自分も受け入れる度量がある長さなら、それは価値あるものになります。好き勝手にいくらでも伸ばしてもいいというはなしではありません。微妙な長さの話です。


N響定期、練習。川越にて、アンサンブル学内。

posted by take at 20:32| 活動報告