2015年10月21日

ジパングなう


今年のジパングは、11月7日、土曜日の19時から、杉並公会堂になります。16回目ということで、ベテランズは張り切ってリハーサルを続けています。


10回目の記念公演。入場料を1,000円均一に設定し、ウェブでリクエストを募り、ランキング形式でプログラミング、檀ふみさんにナビゲーションをしていただき、トリフォニーが本当に満席になったあのコンサートから、早7年が経とうとしています。

実はこのコンサートの打ち上げで、ある方から

「ほとんどの団体は10回目以降駄目になるんだ」

といった内容の事を言われ、少し憤慨したのを覚えています。きっとあれは、

「これから先も気を抜かず頑張りなさい」

というエールだったのだと思います。


で、実際11回目以降、駄目になったとは思いませんが、なんだか目に見えないものに突き動かされ迷うことなく勢いで進みきった最初の10年と、テイストが変わったというのは確かな事実になりました。

まず、それまでのジパングらしい演出を織り混ぜた舞台というのを作りにくくなった。厄年の頃を迎えていた僕としては、なんだか積み重ねてきたジパングらしさで進む気になれなくなってしまったのです。

なぜだかは自分でもわからない。10年間とは違うものをやらなければならないと思ったのか、それもはっきりしなかった。とにかくその気にならなくなった。だからといって、MCも演出もゲストもない、ノーマルなクラシカルコンサートをやるという気にもなれず。

また、それまで目の色変えてやっていたアレンジ (場合によっては、一コンサートほとんどやっていた)に対する意欲も減退した。

よって、少ないアレンジといくつかのオリジナル、そして最小限の演出でのコンサートとテイストが変わっていったのです。

ただ、つまらないこと、質の低いこと、冴えないことをやっていたつもりはありません。ただ形が自然と変わっていったと。

更に

「小ぶりのホールで聞きたい」

という声に応えて、ホールも一気に500人のキャパに変えたが、さすがに自分たちも慣れず、トリフォニーよりは小さいが、充分大きな杉並へと移動しました。

そして、震災を経験。更にコンサートのテイストは変わっていく。


勢いというよりは落ち着いたな、という自覚はありました。そして、そんなスタンスに少しだけ不安を持ちながら、できることを一生懸命やっていました。11回目以降の本番の評判だって悪くはありませんでした。


昨年、ふと思うところあり、改めて新しいことを求めるプレッシャーを今一度見直し、

「かつてのジパングらしく、やってみよう。同じようにやればよい」

という気持ちが沸き上がってきました。


そして今年の内容ですが、前半はここ数年レジデンスコンポーザーとして共同作業を続けている、高嶋圭子さんの世界を。

打楽器も加わり、スクエアダンスでスタート。 チャイコフスキーの四季は書き下ろしアレンジ。そして、震災復興を願う音楽、ハナミズキの祈り。

後半はガッツリかつてのジパングを。ウエストサイドストーリーを、二人の声優を迎え、書き下ろし台本による全く新しい舞台。

声優には、高校時代初上京時の僕の失敗を救ってくださり、2012年に28年ぶりにお会いし、以降親交のある向殿あさみさんと、やはり一線で活躍するお馴染み吉田孝さん。脚本は、ゲゲゲの女房他を手掛けた大石宙枝さんによるもの。


前半の現在のジパングらしさ、更に復興支援に対する気持ちも込めたものと、 かつてのエンターテイメントを前面に出す舞台のハイブリッド。


今のジパングが作れる、最も活きのいいステージになると自負しています。


ある意味、復活したジパング。是非、会場へといらしていただきたいと思います。


N響定期、練習。ジパング。

posted by take at 17:57| 活動報告

2015年10月20日

沖縄そば


この春から定期的に通い出したのですが、それまで僕は沖縄は計三回しか訪れたことがありませんでした。オーケストラで二回、室内楽で一回。で、行くと必ず泡盛を飲み、必ず沖縄そばを食べていました。特に問題はないすよね。

その沖縄そばなのですが、実は

“嫌いじゃないけど、凄く好きなわけではない”

というポジションでした。ソーキやらふてー、てびちといったトッピングたちも、そばに乗るにはストロングに感じ、なんだか食べるのにプレッシャーを感じていた気がします。積極的に食べたいというよりは “せっかく沖縄に来たのだから” なんて感じだった。


この春一回目、大学に着いた足で食べに行った食堂で、いきなり対面。それも、あの大盛りそば定食の一部として。

“これからは通うから、けっこう食べたりするんだろうなあ”

なんて思いながらすすると、なんだか今までと印象が違ってその味のポイントが見えてきました。なんだか好きになりそうな予感が……

三日間の滞在ではそれきりだったのですが、最後空港から帰る時にははっきりと

“もう一杯食べときたい”

となり、しっかりと『フライト直前・ラストソーキそば』というコースを選んだのでした。この時既に、ソーキやらふてーのプレッシャーはなくなっていて、

「うほほいうほほい」

と食べ散らかしテイストで楽しんでいました。


五月、二回目に行った時は、もう空港に着いた時から食べたかった。この時は、中日の昼に学生に美味しい店に連れていってもらう。もう軟骨ソーキなんかも喜んで食べ、

“なんであまり興味がなかったんだろう?”

と不思議がりながら、ずるずるする。

これ以来、来沖の度に、三日間で二杯ないしは三杯は必ず食べている。特に帰りの空港では、五回中五回食べている。

学生たちも、飲んだ帰りに食べて帰ったりするそう。そんなノリは日本全国一緒ですね。

なんだか那覇に降りたったら無性に食べたくなる。やはりあの空気、あの色、あの人たち、あの景色と相対するとそんな気持ちになる。風土が生み出した味ですかね。

ちなみに言わずもがな、沖縄の夜は泡盛が本当に合います。先日は、三軒はしごで最後は外で立ち飲みでした。沖縄では夜風も泡盛のつまみになります。

帰りに別れてから、そばかな?と思いましたが、夜風も泡盛も楽しみ過ぎたせいで真っ直ぐ歩けず、ホテルへ直行と相成りました。


N響定期練習。ジパング。

posted by take at 18:08| 活動報告

2015年10月19日

積極的長さ


表現というと、テンポや音量の変化、ヴィブラートによる積極的アプローチと考えがちだが、それだけがアイテムではない。

実は音程やリズム、そして音の長さも、どのように演奏するかは表現の領域。“楽譜に書いてある通り正確に” という取り組みは、まだ途中段階なのです。

自分が演奏する価値にこだわる、そして聞き手の喜ぶ流れ、繋がりといった音楽の魅力にこだわるなら、これらが放つ表現にこだわり、そして吟味すべきです。

特に意識が薄くなりがちだと思うのが、

『音の長さという表現の個性』

です。

演奏全体は、音の部分と休符の部分で成っている。もちろん、楽譜に書かれている通りの音の長さで、楽譜に書かれている通りの休符の長さで、つまり正確に演奏すればそれはそれで良い。しかし、例えばこんな考え方はどうだろう。


音を長く演奏すれば休符は短くなる。音を短く演奏すれば休符が長くなる。


もしどちらかを選ぶなら?


レッスン。

posted by take at 19:55| 活動報告

2015年10月18日

未成年車


今朝テレビを見ていたら、

「沖縄県民は歩かない。皆さん歩きましょう」」

という徒歩推進委員会みたいなコマーシャルをやっていた。



たけ 「歩かないの?」

学生(ウチナーンチュ) 「歩かないですねえ」

たけ 「そういや、島根県だったかなあ。やっぱり歩かないってテレビでやってた。すぐそこに見えてるコンビニでも車で行くって。逆に面倒くさいと思うんだけど。車出したり停めたり。県芸の学生もみんなバイクか車だもんね。ただでさえ店で出てくる食事の量が多いのに、更に歩かないとなると未来の体型は想像つくぞ。足腰は健康の基本だよ……でも沖縄って長寿なんだよね」

学生 「いや、最近長寿じゃなくなっていってます。昔はみんな歩いてたんですが、今は行動範囲内は必ず乗り物にのりますね。でも私、高校生の時はマーチングやってたんで、物凄く歩いてました」

学生(香川出身) 「僕高校生の時、自転車通学で毎日七キロ走ってたんですけど、沖縄だとそんだけ走ると島の片側から反対の海岸線に出たりするんですよ」

たけ 「凄く遠くないなら、自転車通学にすりゃいいじゃん」

学生(ウチナーンチュ) 「親がダメだっていうんです」

たけ 「危ないから?」

学生 「いえ、バイクや車はいいって。バイクの方が危ないですよね」

たけ 「???????」

学生 「沖縄だと、大人は自転車乗らないんです。乗るのは高校生まで。大人になってまだ自転車なんか乗ってるのかって価値観があって。県芸でも自転車乗ってるのは県外からの学生だけです。実は私自身も、もう恥ずかしくて乗れないんです」

たけ 「はあ?! 乗り物で唯一運動になる自転車に、恥ずかしくて乗らない?! 意味わからんしますます身体のためにならんやないかあ。なら、やっぱり歩くしかないよ」

学生 「いやあ、歩かないんです……」


そういや、那覇市内で自転車に乗ってる人見ません。自転車屋儲からんやろうし、そもそもかわいそうやな、未成年用って。誰でも乗れるようにちゃりんこも頑張っとるのに。ママちゃりという言葉は沖縄では、どう理解するんや?


まさか自転車そのものを不憫に思う日がくるとは。所変われば足変わる。人生何があるかわかりません。


沖縄県芸レッスン。帰京。

posted by take at 21:17| 活動報告

2015年10月17日

オーボエスタート


知り合いのアマチュアオーケストラプレイヤーで、クラリネット奏者からオーボエ奏者へと転身した人がいます。

彼はクラリネットも名手だったのですが、小さい頃からの憧れだったオーボエに 「変わるなら今しかない」 と、30歳前から取り組んだよう。数年計画で、周りには内緒で楽器を買いレッスンに通い。で、僕らの前ではずっとクラリネットを吹いていた。


彼がオーボエ吹きになるというのを知ったのは、発表会の会場で。驚き口あんぐりの我々を前に、アルビノーニを達者に吹いていた。

その発表会の後飲みに行き、当然質問攻めになった。で、愚問と思った

「何故オーボエに?」

に対して、彼が答えたコメントが想定外、「音色が」 に決まってると思ったらなんと

「発音が」

と返ってきたのです。ずっとオーボエの発音に憧れてきたと。まあ、クラリネットより

スパッ!!

と迷いなく出るイメージ。もちろんクラリネットの人だってスコンと出ようとしてはいるだろうが、しかしフワッと出ることも得意中の得意。逆にオーボエにはそれが難しく、音の出だしから切れるまで “隠れることが難しい楽器” 、それがオーボエ。必然的に双方の発音のキャラは違うとなる。

その迷いなくトンッと出てくる音のスタイルに、凄く憧れていたのでしょう。そして、このままその喜びを手にせず人生を進むことが我慢ならなかったのでしょう。

それから数年経ち、今の彼はオーボエも達者に吹いて、オーケストラを楽しんでいます。


この

『オーボエ的スコン(スパン)発音』

ですが、私たちトロンボーン奏者も少なからず意識した方が良いかなと思います。トゥワンやプルン、プフワッやタイン等、私たちの陥りやすい発音キャラは、聞く側からすると、トロンボーン的って言っちゃあそうかもしれないが、演奏のフォルムとしては、美しさや洗練とはかけ離れていく。

僕自身の、永年の課題です。オーボエの発音に憧れた人の気持ちを、少し宿してみる。ひとつのアプローチです。


沖縄県芸レッスン。

posted by take at 20:06| 活動報告