2015年10月26日

変わる身体


ここ数年、一冬ニ風邪くらいひくようになってしまった。今日も喉が痛くなり、月末からの北京(日本の真冬並の気候だそう(T_T))が心配なので、レッスンをキャンセル。学生たちは、「先生弱っちーなー」て思ってるだろーなー。

しかも熱上がらず、箘をやっつけてくれないため長引いてしまう。具合が良くなっても、喉だけ1ヶ月以上残ったりもする。

いや、若いときよりケアしてんのよ。うがい手洗い、マスクにのど飴、怪しければ葛根湯飲んでみたり。お酒飲まずに暖かくして早く寝たり。

でも、風邪に対しての抵抗力は落ちたのかなあ。


それに比して、良くなったこともあります。家人は刺されますが、僕は蚊にくわれなくなった。

更に僕にはとても大きいのが、口内炎になることが凄く少なくなりました。以前は二ヶ月に一回位は酷くなり、場合によっては三つも四つもできたりして。

それが最近はほとんどできない。今年できたっけ?なんて感じ。


身体は、良くも悪くも変わっていくんですねぇ。


N響、練習。

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2015年10月25日

受け継がれし役


釣りバカ日誌がリメイク。テレビ東京の制作で、一昨日スタートしましたね。僕は見られませんでしたが、この話題自体は1ヶ月くらい前に聞いたのだったか。

「あの釣りバカ日誌が帰ってくる……」

みたいなナレーションに瞬間びっくり。復活するイメージなかったし、するにしても、随分早いなって印象だったから。

映画は1988年にスタート。2009年にファイナルを迎え、スーさんこと三國連太郎さんも他界した。

『男はつらいよ』と比較されるくらい国民に愛された、ロングランヒットシリーズ。その第一の理由は、やはり三國連太郎・西田敏行コンビのパーフェクトなはまりっぷり。これ以上の配役はないと思わされたし、三國さんはこの役で新しい境地を開きながらも、見事な演技で国民の意識にスーさん像をうえつけましたよね。

恐持て、悪役の多かった三國さん。このシリーズが始まり、そのコミュニケーションの表現を年下の西田さんにたしなめられたと。「この年にして、彼のおかげで変わることができました」なんて発言からは、人としての懐の深さと、二人の強い信頼が感じられました。

そんなスーさん、ハマちゃんでしたから、スクリーンからもにじむ信頼関係はモノホンテイストバリバリだった。


だから、三國さん亡き後復活は難しいだろうし、たとえ時間が経って作られても、全く違うタイプの人たちが、新しいイメージで作るのだろうと、なんだか勝手に思っていたのです。

復活もびっくりしたが、更なる驚きは、その直後知らされたスーさんの配役。


「スーさん役には、西田敏行さん」


え"〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!そうくる!!!!!!!


まさしく度肝を抜くサプライズであり、話題作りを越えた、配役そのものが人間ドラマのようなやり口に、脱帽中の脱帽になりました。

西田さん自身、嬉しかったと思いますね。三國さんへのリスペクトオマージュの気持ちも込めて、演じるのでしょう。もちろん今の西田さん自身も、スーさんを演じるのは様になる風体。

きっと、天国の三國さんに、西田さんとしての挨拶と報告、そして抱負を語りかけて、引き受けたのでしょう。


なんだか、素敵な話だと思いました。


レッスン。NTT。ブロカート。

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2015年10月24日

母と子


今DVDで見ているドラマ。テーマは

「子供は、何があっても、絶対に実の母親の愛情に包まれ共に暮らさなくてはならない」

というもの。


登場人物は

・生まれて間がなく母親にすてられた娘

・愛人の子として生まれ、父親の存在は知ってはいるが知らないことになっている、父親に対し自分からは直接名乗れない上、死んだと伝えたことを信じているだろうと思っている母親に溺愛され育った息子

・思春期に母親が死に、その後父親の再婚で、新しい母親と暮らす娘

・母親が再婚だと知らず、一緒に暮らす姉は当然両親共同じだと信じており、更に、実の母親にはすてた娘、つまり実の姉がいることを知らずに暮らす娘

・成人し、若くしてできちゃった婚するが、子供の顔を見ぬまま事故死してしまう息子

・両親の離婚で、ほとんど母親の記憶なく父親に育てられる息子

・両親と共に普通に暮らす娘や息子

たちが登場。

当然それぞれの母親もでてくる。つまり、

・再婚する際、娘をすててしまいずっと悔やみ続けている、新しい家庭には、仲良い親子になりたいのだがなかなかうまくはいかない旦那の連れ子の娘と、再婚した相手との間にできた、事情をまるで知らず普通の家族だと信じている娘と暮らす母親。病気がち

・妻子いる男性との間にできた息子を産み育て、溺愛する母親

・離婚の際、親権、養育権を失い、実の息子と暮らせない母親

・男三人兄弟の末っ子を、結婚式の数日後に事故で失い、その嫁と生まれた孫と一緒に暮らしながら、やがて深い情を抱くようになる母親

・息子と息子の嫁、孫と普通に暮らす母親

・娘と普通に暮らす母親

たちが登場。様々に絡み合い、ドラマが進んでいきます。


「父親なら育てなくてもよいのか、一緒に暮らさなくてもよいのか」

と言うと、それはまあよいはずはないのですが、ここでは母親との関係が主題になっている。

それぞれの事情、希望、愛情、憎悪までが複雑に深く絡み合う。当然それぞれが自分の都合、感情を通そうとし、トラブルへと展開する。

しかし徐々に、様々な人々の葛藤、ぶつかり合い、不寛容を乗り越え、我慢と諦めを伴う正しい判断が、ストーリーを支配していく。やがて、母親と子供が繋がることの唯一無二の正当性が浮かび上がるが如く、人々は忍耐と寛容を表していく。


このドラマから

『子供の前での大人は、絶対貫き通してはいけない事情というものがある』

ということを教えられます。幼子の方から放棄することはありえない。命に繋がることが本能でわかるから。全ては母親だけでなく、周りの全ての大人に求められている絶対的な判断なのでしょう。


母親の資質を理由に例外を語る場合があるとしたら、更にその母親との関係にまで辿り着かなくてはならない。過去途切れていたことが理由での良くない関係だから切れた方がいいでは、実は永遠に繋がらない。

命は連鎖だからこそ途切れてはならない関係、何気に難しい場面も多い社会なのでしょうが、それでも全ての命に対して無条件に必要な判断なのでしょう。

豊かな人間表現に溢れたこのドラマが、そう教えてくれました。


川越へ。N響定期、本番。Nーcrafts、練習。

posted by take at 15:48| 活動報告

2015年10月23日

祝!高嶋CD


いよいよ本日、私たちジパングの9枚目のアルバム(ベスト盤を入れると10枚目)が発売になりました。タイトルは


『トロンボーンと私 ― 高嶋圭子作品集 ―』


です。

高嶋さんのクァルテットのための作品を、ほぼ網羅した一枚になっています。過去発売になった古都三景とパスピエもボーナストラックで入りました。


高嶋さんの音楽は、とにかく理屈抜きに “やってみたくなる音楽” だと思います。世界観ははっきりとしており、技巧や刺激が伝わるものではなく、ただただその情緒にあふれた歌を感じると。つまり

“トロンボーンで歌ってみたくなる”

そんな音楽たちなのだと思います。


今朝のニュース。

「今、イタリアミラノで開催されている万博で、日本のパビリオンが異常な人気。八時間並んで入る人も。テーマは食。一度入って、もう一回四時間並んでも入りたいなんてイタリア人まで」

日本食に対する、世界の興味とテンションは凄いことになっている。どうやら私たち日本人が思っている以上のようだ。アメリカやフランスのビジネスマンが、自らお弁当を作りもっていく。お弁当箱は売れに売れている。寿司やてんぷらだけでなく、ラーメンやうどんまで大人気。

もしかしたら私たちの、外国における日本食に関しての印象というのは、鎖国しているのかもしれない。


日本の情緒という高嶋さんの音楽。いずれ日本人のみならず、世界のトロンボーン奏者たちの強い感心を惹くことになるでしょう。 日本のクァルテットが外国で演奏する時代もくるでしょうし。

まずは、日本の若い演奏家たちの、心から望むレパートリーになることを願っています。


N響定期。
11月7日のコンサートでもやります。是非。

posted by take at 19:43| 活動報告

2015年10月22日

振動体


定年を迎えたある金管奏者の話を、人伝に聞きました。

もう仕事として楽器を吹かなければならないわけではない。これからはプレッシャーや義務感から解放されるわけで。ゆっくり休み、そして後の時間はやりたいことをやる。そう思い、楽器には触れなかったそう。

数日経ち、体調が少しづつ優れなくなってくる。だんだん具合が悪くなり、最後は精神的にもまいり気味に。

病院で様々検査。診察も受けるが原因わからず。どんどん悪くなる中、ある医者から

「もう一回楽器吹いてみたらどうですか?」

と言われたそうです。

「いやあ、楽器はもういいです。ずいぶん苦労しましたし、最後の方は若い時のように吹けなくてしんどかったんですから……」

そう言いながらも、帰宅し楽器のケースを開けなんとなく音を出し始め……

数日後、体調は目に見えて良くなり、あの不具合は一体なんだったんだというまでに快復したとのことなのです。


この話を、あるベテランプレイヤーに話したところ

「吉川はいくつから吹いてる?」

「中一だから、12才からですね」

「じゃあ40年くらい吹いてるんだよね。俺なんか50年近くほぼ毎日、人生のほとんどほぼ毎日吹いてるわけよ。だから吹くのが当たり前の身体になってんだから、そんな簡単にやめられないよ」

そっか。そうは考えたことはなかった。その気になれば吹かなくても、他のことに没頭できれば、気持ち的にも時間的にも生きていけるのだと思っていた。

たしかに、人生のほとんど吹いてきたわけで、そんな身体で出来上がっていってるのなら、吹かない自分を、身体も心も許してくれないのかもしれません。


N響定期、練習。ジパング。

posted by take at 16:31| 活動報告