2015年09月16日

感じなくさせない



飽きない


これは人生を駆け巡る命題です。

日常の短いサイクルで飽きたり、何年ごし、何十年ごしで飽きたりと、人生にはつきものですから。

飽きるというのも、

“慣れて楽になる”

という、有難い効能を強く感じれれば、決して悪者にならなくて済む部分もあるし、

“飽きるがゆえに、更なる高い指標を目指し変わっていける”

なんて、エキサイティングな話にもなる。

しかし基本、飽きるからくる

“怠惰、退屈、無感動、無感謝、無関心”

は、私たちの人生にはびこる病原菌で、ある場面では伝染病でもある。


僕の日常で言えば……

しばらくは目指す大きな本番もなく、プレッシャーのかかる曲もなく、生徒たちの変化もなく、家でゴロゴロしてていい、なんてのは結構苦手です。結局あれやこれややってるし、いろいろやらせてもらってるけど、それでも “ノーエキサイティングスポット” みたいな時期は、自然ともんもんとしてくる。社会や人との関わりが薄く感じられ、自分の存在に不安がわくみたいなやつでしょうか。

トロンボーンクァルテットのコンサート、そのプログラムや内容、演奏が持つ印象にも 「飽きるんじゃなかろか」 という不安はいつもある。


音に関しては、とてもシビアな避けて通れない命題中の命題。

『金管は音が命』

を否定したら、金管吹きとして終わりだから。

美人は三日で飽きるわけで、美音もその可能性がある。というか可能性ではなく現実です。ブスは三日で慣れるから、音も美しくある必要はないという話はない。毎日の時間、何年も、何十年もかけて、聞き続けたら飽きられるであろう音を、それでも磨いていかなければならない。


明るく艶やかで開放的、輝かしく華やかな音

柔らかく艶やかでしっとり、安堵テイストをもった音

人はどうやら、この二つのベクトルのどちらかを目指すようだが、

“もしかしたら、明るく輝かしい音の方が、飽きにくいかもしれない”

と考えるようになってきました。しかし、ただ明るいだけじゃ駄目で、透明度と解放感、しっとり感も持ちながらなのですが、もうひとつ “絶対的な張り” という、ある意味の

『硬さ』

も必要かと。硬さと柔らかさなんて相反するものを両方要求することになるが、それこそが “飽きない” への道なのかもしれない。


本当に人生に横たわる、大変な感覚と向き合う。


飽きない、飽きさせない

そして、諦めない。


川越へ

posted by take at 14:34| 活動報告