2015年09月05日

適当な良賢者 (適当な意見じゃ)


ある人が仕事中、

「クライアントが、みんなこんなにいい人ならいいのに…」

とつぶやいた。メールのやりとりに好感がもてるらしい。つまり、普段は我慢我慢のやりとりもあると。

「でも、みんないい人だったら、それが当たり前になって有り難みなくなるよ」

「そうね、その中でも更にいい人を求めたりして」

「そ。ハードル上がって大変よ。神様は、いい人と悪い人、両方作っちゃったんだからしょーがないよね」


そう、いい人という、極めて周りを不快にさせずそれどころか喜びを与えたり、学ばせたり敬わせたりする人もいれば、悪い人という、自分本意で、なんだかつきあうと不愉快になったり、実害をこうむったり周りに迷惑ばかりかけてたりする人もいるのは、神様が割合としてもれなく人類に盛り込んだのだからしょうがない。

そして、その両方のテイストをなんとなくバランスよくもっている凡人こそがたくさんいる。


1割の善人(賢者)、8割の凡人、1割の悪人(能力の低い人)


という社会に設定したのだから、しょうがないのです。これはどうやら世界中、どの時代も、どのコミュニティでもおおかれ少なかれそのようです。


人は周りに対し、善人や賢者こそを望む。本能で、その方が自分が幸せになれるとわかるから。

そして、自分ができてるかどうかは置いておいて、悪い部分や能力が低く愚かしい部分がある人を責め、

“自分は大丈夫”

を保とうとする。その責める項目、自分はできている、やっているという自負があればなおさらだ。

ただ、明らか性根が悪い、怠け者ならともかく、能力的にできないのなら、それは責める筋合いではない。(怠けてしまうのも能力だとしたら、これも責められない)本人だって、なろうとしておバカ、できないちゃんになっているわけではないので。


今、茂木健一郎さんの本がまたベストセラーになってるそう。

『結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方』

というもの。

【すぐやる脳】と【ぐずぐず脳】があるそうなのですが、実はぐずぐず脳は真面目な人に多く、すぐやる脳は適当なところがあり、ポジティブにとらえ深く考えずに行動に移せる人が多いそう。


真面目も不真面目も、どちらかに片寄ってては具合が悪い。

計画的にやるのはいいがその通りに進まないと許せない方へ片寄ってたり、根拠なくなんとかなると思ってしまう方へ片寄ってたりするのも具合が悪い。

結局バランスが大事で、一番多い凡人枠の中にあるそんな差を、お互い本気で責めても、“責めるというイカンコト” しか残らない。


賢者、能力が高く成果が残せる人というのは、こんな大きなフィールドにいる様々な人間性を理解し、キリキリせず

「ま、いっか。いろんな人いるし」

と、適当に考えられる人かもしれないですね。

僕は凡人でありながら適当なトロンボーンマニアとして生きる人生になったので、自分でホッとする日々です。


休日。

posted by take at 16:02| 活動報告