2015年09月30日

バルブトリル


僕のトレーニングパターンというのは、一般的なものと比べて少し(大分?)変わってるのですが、その中に

【バルブトリル】

というのがあります。 文字通り、バルブでトリルを練習するもので、最近はパターンとして進化して、レミントンのリップスラーをやりながらトリルってたりします。

効能は、本人曰く

「より唇が柔軟になり反応も良くなる」

なのですが、直接的実感はやった人にしかわからないものでしょうから、興味のある方はトライしてください。ただ、普通はやらないパターンなので、周りから怪訝そうな目で見られる可能性があります。僕のように普段から不可思議なパターンでばかりトレーニングしているなら(本人には理屈があり大真面目なのですが)もう市民権を得ているので、周りも呆れ諦めスルーしてくれますが、真面目にロングトーンやリップスラーだけしてきた人なら、急に

“バラバラ”

始めると 「こいつ大丈夫か?」 みたいな目で見られるので、是非勇気を装着してからトライしてみてください。


で、僕は順番として、マウスピースやロングトーン、リップスラーをやった後にしていた練習なのですが、ある日生徒がこのことについて話しかけてきました。

「先生、バルブトリルですけど、最近リップスラーの前にやってるんです。するとリップスラーの出来る感じが随分違うんです」

ほう。

ということで僕も試してみました。

確かに違う。エアーは随分スムーズに入るし、口元の安定感もグッとあがる。こりゃいいやと思いながら練習していたら、ふと更なるあることが頭に浮かびました。

最近何人かの人から続けて受けた質問に、こういうのがありました。

『ウォーミングアップの時間がほとんどとれず合奏や本番に突入しなければならないことが何度かあり、調子を崩している。短い準備時間の時何をすれは良いと思うか』

というもの。まあ通り一辺にしかならないが、ロングトーンとリップスラーをいくつかとか、リップスラーだけでもやってからとか答えてきましたが、

“バルブトリルをやるのはいいかもしれない”

と。ただ、アパチュアが広がり過ぎないよう注意する条件つきで。

直ぐに、相談をしてきた友人に電話して勧めてみました。

想像だけなら、なんじゃそりゃでしょう。詳しく知りたい方は、いつでも連絡ください。お話ししますから。


N響定期、練習。夕方金管五重奏で小さな本番。

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2015年09月29日

千歩下がって千一歩前へ


大河ドラマの収録が終わる。レッスンまで時間があるため、代々木公園でまったりする。お供はジャスミンティーのペットボトル。


いくつか小さな悩み事もあったりして、気分を晴れやかにしようという本能か、晴天の公園で気持ちの良い空気を吸おうと、ベンチに腰かけた。

この緑の中に身を委ね、都心なりに澄んだ空気をゆっくり鼻から入れると、身体と心が少しずつ浄化されるのがわかる。

やっぱり前向きにがんば…ん? なんか臭う。

隣のベンチに座ったおじさん。少なからずにお……いや!!かなり臭うやないかい!!!

聡明な私は早めの判断。すくっと立ち、何事もなかったように、遠くのベンチを目指す。




ここなら安心。

先日のブロカートの本番の日のアンケートをまとめたものがメールで送られてきている。なんと今回出演できなかったメンバーが全て打ち込んでくれているのだ。感謝感謝。これでも読んで、元気になろう。

僕が感じた手応え通り、好印象だったとの感想が続く。各楽器のプレーを讃えるものも多く、演奏が進化しているとの意見も。こりゃ団員たちも喜ぶね。みんなで頑張った甲斐もある。

よし、いろいろあっても前向きに生き…ん? 良くなかった? かつてのブロカートのような演奏を期待したいとな。

……ま、まあ、いろんな意見がありますよね! こういうのはね!!賛否両論ある方がいいんですよ!!! ほら、指揮も良かったって書いてある。 決して間違ったことや良くないことをしてるんじゃないんだから、自信をもってとにかく前向きに生きていくことが


“ポトッ”


ズボンの上に何かが落ちた。見上げると茂りまくった葉っぱの中、姿は見えないが声が


ア"ア"ーーッ


あ"あ"〜はこっちやがな。今日はカラスが多いなとは思ってたが、まさかそこにいるとは思わんがな。見えないとこからくるとは。


いや!!頭に落ちなかっただけいいんだよ。不幸中のなんちゃらよ。ほら、ティッシュは切れてるけど、夏の名残のギャツビーのフェイシャルペーパーがあるがな。な!ギャツビーもこんなことのために作られたんやないし、ズボンも、まさかヒンヤリするとは思ってなかっただろうけど、ちょうどキレイになってえんよ。これでいーのよ。


と、とにかく、ま、前向きに生きていくことがやね…………


大河ドラマ収録。川越へ。

posted by take at 14:43| 活動報告

2015年09月28日

悪く知


今日は、ちょっと偉そうに書いてしまいます。


「人のこと馬鹿っていうやつが馬鹿なんだぞ」


いつ出会った言葉なのかは正確に思い出せません。小学生だったのか中学生だったのか。もしかしたらもう少し後だったのかも。大人になってからも、何度か聞いたことがある。

これは、平たく言うと

「人の悪口を言うな」

ということ。子供に対する教育の一貫としては、ある意味ユニークなアプローチだと思います。

しかし私たちは大人になっていく過程で “自分は言ってないつもりでも、けっこう言っている”とか “愚痴という名の悪口なら言った方がよい。ため込まず吐き出すことが大事で、それを聞いてあげるというスタンスも大切”とか “愛情が感じられたり、相手を高めるための批判なら良い” とか、悪口がある意味市民権を獲ていくことを知っていく。

『他人の不幸は蜜の味』 なんてドラマもあったし、居酒屋の夜な夜なは、あれやこれやの悪口こそが売り上げに貢献しているだろう。アルコールも、悪口エスカレートの燃料として大活躍だ。



一昨々日“宗清さんとの会話からインテリジェンスを感じた” と書きましたが、昨日たまたまFacebookにてシェアされていた

『知的であるかどうかは、五つの態度でわかる』

という文章を読んで、自分には似合わない知性という言葉が続いて飛び込んできたので、驚いてしまった。(たまたまでしょうし、それこそたまたまピックアップしてたので目に入ったのだろうが)

【私達は「頭が悪い」と言われることを極端に嫌う。知性が人間そのものの優劣を決めるかどうかは私が判断するところではないが、実際知的であることは現在の世の中においては有利であるし、組織は知的な人物を必要としている。だが、「どのような人物が知的なのか」ということについては多くの人々の判断が別れるところではないだろうか】

という言葉から始まるこの文章、とても興味深いものでした。これを読みながら、ストンと音をたてて府に落ちたことがある。

私たちが生きていくのに、他人への批判や悪口はある意味不可欠なのでしょう。皆、自分が正しい、賢いと示したいから、正論が如く誰かを悪く言い、我が存在を保とうとする。

ただ人が言ってる悪口は、それこそ自分ものっかって言いたかったり、言ってる目の前の人を蔑んで見たかったり、吐き出させて楽にしてあげたいなんて気持ちなら、聞きたいというテイストもあるだろう。しかし基本、他人の悪口は好んで聞きたいものではない。

なぜか…

悪口そのものがどんなに正統性があっても、言ってる内容や言ってる人の言葉や顔からは

“知性が感じられない”

から。愉しそうに話すならなおさら。

そう考えると、「人のこと馬鹿って言うやつが馬鹿」というのは、そういうことかと納得できる。知性が感じられないのだから馬鹿に見えると。


これは、悪口自体を否定的に見ている意見ではありません。弱っちい人間という存在、その人生の時間には必要なものでしょう。

しかし言い方や話のもっていき方のセンスは持ちたいし、目的意識くらいは自覚できた方がいい。

本人悦に入って喋ってて、捨てたくない知性も一緒に口から出してしまってる可能性ありますから。


こんなこと書くこと自体、知的じゃないすね。

あ〜、本能って罪。


川越へ。
posted by take at 21:10| 活動報告

2015年09月27日

ブログ放棄


レッスン内容やコンサートの企画、いろんなことのプログラミング、その新しいアイデアを考えている時間が好きです。

特に、今までにない、しかし今までより効果があるもの、面白いもの、役にたちそうなものは常に探しており、それが思いつきかけた時は、完全に妄想モードに入り、何処かへワープしてしまう。

電車の中とか、ニヤニヤしたり凄くヘンな顔してる可能性が高い。

今ちょっとそんな時なので、今日のブログはここでおしまい。


ワクワク脳が

「ブログどこぢゃない」

と言ってるので。すみません。


レッスン。ジパング。

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2015年09月26日

沖縄の色


台風がなんとなくそれたようですが、帰京日の今日は雨風がそれなりににぎやか。しかし飛行機は問題なく飛ぶようなのでほっとしました。


昨日は快晴だった。こういう天気の時の沖縄は最強で、とにかく太陽が照らす全てのものの色が違う。

たとえば、ハイビジョンのデージ艶やか(凄くあでやか)な画面を見たとき、

「これ実際の色より鮮やかに加工されてないか?」

と思うくらい色々がクリアーで、場合によっては自らが光を放ってるのでは?と錯覚するくらい、輝くように感じることがある。

昨日の沖縄、僕の視界の全てがそのように見えるのです。イタリアの陽光なんかに代表される、ヨーロッパでも見られる色。


一昨日はビーチパーティーで、沖縄トロンボーンプレイヤーズに迎えてもらった。柔らかい砂浜、透明度の高い碧の海、そして見上げれば、快感指数が上昇するスカイブルーにあまりにホワイティな雲たち。

バーベキューを平らげ、泡盛でご機嫌になった僕は、あと遊泳時間三十分という夕刻、シャツに短パンで膝まで海に浸かろうと入り、想定外の素敵な深みから屈託のない波にさらわれ、次の瞬間洋服のままプカプカ浮かんでいた。塩分濃度が高いのか、楽に力を抜いても足先手先まで浮かんでいる。耳まで浸かりながら空を見上げ、気がついたら自分の中に向かってつぶやいていた。

「こ、これが沖縄か……」

夕刻でも、まだ空は澄んだ青が広がっている。美しい雲の向こうから、黄金色の陽光が放射状に広がる。まるで、美しく響ききったシンバルのようだ。

海の温度は身体に優しい。マリンベッドに身を任せた僕は、その美しすぎる空をながめながら、しばし時の流れを忘れ、地球の色から感じる幸福に浸りきっていた。


「日本ではここにしかない色かもしれない。これを見るなら沖縄しかないのかもしれない」


忘れないようにしよう。東京では見られないのだ。この艶やかな色、僕には音に込めなければならない義務がある。そう思わされる静的快感に、無類の価値を感じたのでした。


沖縄県芸、レッスン。帰京。

posted by take at 18:00| 活動報告