2018年02月23日

道具に腕押し


今日は

『吹きやすい楽器やマウスピースを選ぶべきか』

について考えたいと思います。


「え?そんなん当たり前じゃないの?」

と思う人多いと思うのですが、僕は必ずしもそうとは考えてはいません。

このことを考える時、「いつ、どのように吹きやすいのか」について、正確に定めないと、考察自体の意味がなくなります。


まず「いつ」ですが、これは選んでいる時、つまりその道具とのスタート時点での話。ただ、吹き続けていった結果を予測できるタイミングか、の話でもあります。

そして「どのように」とは、いろんな意味で抵抗がなく感じられ、簡単に音が出てよく並ぶ、息がとにかくスムーズにたくさんたくさんいくらでも入る印象で、最初からまるで完成されたようないい音が出る、ということ。

実はこういうものほど、後々吹きにくくなり、ストレスの種になる可能性もあると思うのです。


新しいものを試した時は、実はそれまで吹いている道具との振動させ方や息の送り方で吹いています。

入手して1,2週間で最初の印象と変わってくるのは、徐々に新しいものへ相対するようになる、つまり自分が道具に合わせて変化していくから。

問題はそこからで「最初あんなに吹きやすかったのに、そこまでじゃなくなってきたなー」みたいな初期プチ倦怠期を迎えてから後の印象です。

どんどん積み重ねていくことにより「自分の日本語話術」のような自在を目指し鍛練したくなるよう、上昇を感じ道具に不安がなく信じられるか。

あるいはそうではなく、独特の行き詰まり感に襲われるか。


先日も書きましが、発音や息の入り方にバリエーションが感じられず、特定のやり口、しかも弦楽器や声楽のニュアンスのようなあらゆる表現ができるものではなく、電子楽器のような音の形にしかならないものだと、それ自体は魅力的であっても時間と共にいき詰まる。本能では様々やりたい自分には、融通の利かない扱いにくい道具となっていく可能性があります。

そういう意味で、必ずしもその観点で吹きやすいものが良いとは思えないのです。

反応良く音が出るのはいいと思いますが、その後伸ばす時に、支えてもらえるような抵抗が感じられず、息が持っていかれるような入り方をするなら危険。

それに合わせて発音が勢いと共にアプローチするようになり、抵抗が感じられないゆえに伸ばしている間はビートを感じるのが難しくなり、リズムやタイミングが不安でわからなくなる。

ビートを感じるというのは、ある程度の抵抗から支えがあり、自分が道具にかける圧力と帰ってくる圧力のバランスがとれてなくてはならない。

弦楽器だって弓に松ヤニを塗って絡むようにし、その抵抗バランスを作る。無さすぎると暖簾に腕押しみたいになり、ビートをどうこうより、意識が「なんだか大変」に支配されてしまう。

一番何も考えずにロングトーンができるような関係性を求めなければならない。表現に集中するために。

人間関係でもなんでもそうだが、あまりに無抵抗で、こちらのアプローチが一方通行的に放たれるばかりになる関係性というのは、とっかかりは良くても結局無思考、飽きから辛さへとの印象へとなっていくのだと思います。


東邦トロンボーンアンサンブル本番

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2018年02月22日

やはり、やはり積み重ね


演奏の、ある場面で不意に感動する。鳥肌がたつように身体の内側、心の中が細かくジーンと振動し、目頭に涙が浮かぶ。

ただそこでそうきたからといって、同じ演奏のその部分だけを聞いてみても、感動はやってこない。

曲の最初から、きちんと積み重なってきたものがあってこそ訪れる。


大事なのはその積み重ね方。


スコアをよく読んで、場面場面を演出、誇張するようなやり方をしても、「ほぉ」はあれど、感動とまでたどり着くとは限らない。

場面の的確な理解と表現は大事だが、時間の快楽である音楽はその繋がり方、関係性に納得や説得力があることが大切なわけで、とにかく途切れず繋がっていることが必須なのだ。

いや、繋がっているというよりは、きちんと積み重なっていくような流れ方、キャラクターである必要がある。


感動がやってくる人というのは、曲の最初からその心に印象が真っ当に積み重なっていくのだと思います。コップに印象が貯まっていくみたいな。

そしてそれがいっぱいになり、溢れてしまうような状態になった時、感動するようになっている。

つまりきちんと時間をかけて、心に真っ当な関係性が積み重なっていき、感動できる状態になっていけた人だけが、涙を流すほどの快楽を得るのだと思います。


この演奏の価値の真実を理解してもやはり、積み重ねることこその大切さを強く感じる。

日常の生活が、人生の充実を目指すため、きちんと工夫、研究、実験、鍛練を積み重ね続けるような生き方で占められているか。

いや、のべつまくなし占めてなくてよいのだが、そのテイストとは違うこと、よくわからないまま研究や実験もせず継続したり、ちょっとうまくいかないと直ぐに違うことへ方向転換して逃げてしまうことを繰り返したり、周りと違うことをすることばかり選んだりというのは、積み重ねられない体質への道程となってしまう。


オリンピックを見てても本当に思うが、積み重ね名人になる、そんな取り組みができる人になるべく、生徒たちを導かなければならない。


そんな彼らのコンサート、明日になりました。アンサンブルの演奏からは、しっかりとした積み重ねが聞き取れます。

彼らが、客席へ喜びを奉仕し続けることを期待するばかりです。


川越へ

posted by take at 19:52| 活動報告

2018年02月21日

涙のわけ


パシュートの金メダル獲得レースの映像、何度見ても物凄く感動し涙がでる。直ぐには喋れない。声が震えてきちんと話せないから。

録画でこんだけくるんだから、リアルタイムで観ていたらどーなったんだろう。1人きりだったら号泣したんじゃないかと思うくらい。



いつもは考えないことを考える。

「なんでこんなに感動するんだろう?」


結果はもう知って観てるわけで「不意に」に対するものではない。

まず日本国民として応援し、外国勢に負けずに勝ってほしいという愛国心、この民族共同共有メンタル(高じるとよくないことにも繋がるやつ)をくすぐる、最高の結果からの歓喜というのはあると思う。(実は、僕は年々弱くなっている。オリンピックも、どの国の若者もメダル取りたいのは一緒だからと感じてしまう)

しかしそれ以上だろうと思うのは、若い彼女たちの健気な姿。

これはインタビューを見てても感じますが、今どき多いマスコミ慣れテレビカメラ慣れからのプチタレントテイストがまるでなく、いち一般人アスリートとして純朴に見える表情や話し方に共感すること。

そして何より滑っている姿の持続がハードな努力に見え、強く応援したくなる点。

更に三人の至近距離隊列、しかし相手国と離れた位置で戦うというのが、孤独な友情に見えること。

相手がメダリスト三人の強豪国であり、しかしオリンピックまでには日本チームの良い結果の材料があるため、当人たちには金への強い希望、欲求があり、それが「叶って良かったね」みたいな気持ち。

そのレースが、最初微妙にリードからの逆転され、「やっぱりオランダ強いのかー」からの再逆転という、ドラマチックな展開をやりきった彼女たちの根性、実力、最後まで諦めず力を振り絞る姿に。

実は最強といわれたオランダに、ソチの時は12秒も差をつけられていたわけで、それをメンバーが違うとはいえ、四年間で追い抜くまでになった彼女たちや関係者の陰での努力に対して。


いろいろな条件が重なっているんですよね、多分。


明後日のコンサートにおける若者たちは、演奏でもって同じように感動を引き出せるだろうか……


いや、必ずやってくれるはず。

パシュートチームの関係者は、彼女たちを心から信じていたはずだ。

僕も彼らを信じきるだけなのだ。


川越へ

posted by take at 11:59| 活動報告

2018年02月20日

若き演奏家たちの奇跡


今日も生徒の自慢をさせてください。親バカならぬ生徒バカなつもりはないのですが、発表しないと知られはしない彼らの頑張りを、どうしても紹介したいのです。


東邦トロンボーンの楽聖はかつてから真摯に取り組む人がほとんどでした。ただ、対外的な評価をきちんと受けられる人は限られていました。

もちろん不当な評価だったとは思いません、正当です。スキルにはばらつきあり、まだまだ取り組み自体も僕のシステムも未熟だった。

ここ数年は、彼らの努力がはっきりと形になり実を結びつつあります。


東邦も沖縄も、年度で1人という、オーケストラでソリストを務めるオーディションに合格が続いています。

東邦では管弦打で1人というオーディションに、四年生が選ばれダヴィッドを演奏。金管ではトロンボーンのみが、過去含め三人選ばれています。木管や弦楽器に勝つのは大変なことなんですよ。

沖縄では昨春卒業し今東邦で学んでいる楽聖が、ピアノ含む全ての器楽から選ばれてトマジを演奏。これまた立派な奏者です。


この春東邦学部を卒業する若者は、ヤマハ新人、読売新人、卒業代表演奏全てに選ばれるという快挙、短大生は読売新人、卒業代表にこれまた選ばれました。

音大関係者じゃないとピンとこないかもしれないですが、1人がこれだけもらうというのは本当に凄いことなんです。

レベルの高い奏者たちの競争と協調による学びの中、他の楽聖たちも、もれなく感動的な演奏への階段を昇っていっています。

彼らの誠意と愛情、ユーモアに溢れたディスカッションも本当に素晴らしく、真剣、緊張と安堵、何より音楽表現の喜びに溢れた学舎で、進化が続いているのです。

僕は、彼らに感謝する気持ちを原動力に、日々アクティブに生きていけてます。


そんな彼らのアンサンブルのコンサートが近くなってきました。23日金曜日、18時半、川口リリアになります。

エネルギーと快感に溢れた演奏になっています。必ずや感動が放たれると信じられる生徒たち。皆様是非お越しください。


川越へ

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2018年02月19日

おリップぃっく


冬のオリンピックって


「超スピーディーに滑りまくり」


っていう、芸人にはぢごくのやうな世界観ですが、見てる方は爽快なシーンばかりで気持ちいいっすね。

あーそーかい。


ジャンプは永らく見てきたので、もしお金を積まれても絶対自分には無理というこの「高速落下競技」も、安心感をもって楽しめます。

それにしても葛西さんは素晴らしい。彼の存在自体が、人生のいろんな場面を生きなければならない私たちにとって、夢と勇気そのもの。


で初めて見るスノボやハーフパイプとかは、もうびっくりな競技。人間が空へ飛んでく、舞う、羽ばたく、回る、そして見事にランディング。

超かっこいいし気持ちよすぎるけど、見てて「ホント大丈夫?!命懸けやなー」と少なからずドキドキ。雪ったってカッチカチに固めてるわけで、コンクリート相手に落ちてってる感じでしょうから怪我したらハンパないでしょう。凄い爽快感の分、リスキーな競技だなあと。


フィギュアはもう半分以上こちら側、競技っちゃあ競技ですが、芸術そのものです。音楽の流れと彼らのスピード、音楽のバウンドと彼らのジャンプなんかの混ざり方、ハイブリッドが、作品感を強く沸き上がらせます。

カーリングも独特の快感。チーズの塊みたいな石が滑っていくのは気持ちいいし、レレレのおじさんよろしくホウキで掃いて更に滑り良くし、コツン☆と当ててなんてのもオリジナルの心地よさ。


で、これらの競技のほとんど全てが


「摩擦の軽減」


による闘いですね。スケート靴の歯と氷の摩擦、スキーと雪の摩擦、チーズと氷の摩擦。

夏のオリンピックは、ほとんどが逆でトラック競技なんかもいかに絡むかですね。ツルツル滑ったら、いくらウサイン・ボルトでも、いつまでたってもゴールできない。



で、この摩擦の軽減ですが、私たちの息の出口、アパチュアの部分も、これこそを目指すべきですね。

極めてスムーズな息の流れを作るために、唇と息の摩擦を軽減。

このイメージこそが大事。

冬季オリンピックと管楽器奏者のオリップィックは、共に金メダルを目指すものなのです。

リズム滑っちゃダメよ。


川越へ


posted by take at 09:02| 活動報告