2020年03月31日

志村けんさんの言葉から


志村けんさんが、付き人(弟子)に残した言葉の中に

「笑いってのは教えられないんだよ」

というのがあったと知った。


そうなんでしょうね。


今は吉本の学校でもかなりシステマティックに教えているのだろうから、どんどん新しい芸人たちが出てきていることは確かだが、あのさんまの言葉、「笑いのツボはわからんわー」が象徴するように、本当に笑いが起こる決定的方程式というのは、誰にもわからないのだろう。

わからないから教えられない。笑わせられる人自身も、自分のセンスの何がどうだからと、言葉で説明はできない。

笑いを求めウケを求め、すべるパターンを研究し、悩み悩んでなんとなく発してきた言葉の中から笑いが得られたものをリピートからまた研究、そして傾向を理解していく気がしていく。

そんな人生の時間なのではないだろうか。


実は演奏も全く同じ、教えられないものだと思う。感動を生む表現の仕方なんて、言葉で表現するのは不可能だ。

上記の考察の単語や言葉を、演奏のものに入れ替えると、そのまんま同じ価値観になるだろう。

今は音楽大学でもかなりシステマティックに教えているのだろうから………


志村さんは「だから俺の側にいて見ていろ」ということだったようだ。芸事における昭和の学びの基本的スタンスですね。

本当は現代も同じで、本質は何も変わっていない。

最後は言葉やレッスンでは教えられないから、演奏そのものを聴き、向き合い方や生き方を見て、研究したり評価したりを繰り返し、ある瞬間からきづいたり普遍的素晴らしさを身に付けて、成功と失敗を繰り返しながらとにかく諦めず進めよと。決して教えてもらおうなんて思うなと。



志村さんのもう一言

「人の気持ちがわからないヤツには、お笑いはできない」

これまた、人間が作る物質もだが、特にコミュニケーション系における真理の中の真理。人の気持ちがわからないヤツには、本物の演奏はできない。


召されてから、初めて志村けんさんと繋がったような気がする。


合掌。


休日

posted by take at 14:59| 活動報告

2020年03月30日

救世熊


家に籠っている生活。いろんな情報をきちんと汲み取って真剣に考え判断しなければなりませんが、あまり深刻になりすぎない方がいいですね。深刻が長時間毎日続くと、健康なはずの私たちも内側からわけもわからずやられていきますから。


数日前のことですが、知り合いにパンダ柄のバウムクーヘン「パンダバウム」を貰ったんですね。

僕は隠れパンダラーなんですが、彼女は公開パンダレリンで、よく白黒はっきりした話をしてることもあり。

で家人が、Facebookに感謝と共にそれを食べた写真をのせたとき、僕は


「パンダは世界を救う」


ってコメントしてみたわけです、なんとなく。


今日とある動画を見たんですね。コレ↓

https://www.facebook.com/watch/?v=847573445722430

まあ、皆さん心の中でいろんなエールを送りながら見ると思うのですが、多分私たち人間も、対ハンモックの場合似たよーなものではないかと。

まあオセロ熊なら可愛いですが、私たちが可愛いとは決して限らない。かなり笑えるとは思いますが。

ただ僕はこれを見たとき、すこし深刻に疲れぎみだったんですが、自然と身体の中からふわあっとしちゃって……


本当にパンダは世界を救うんじゃないか


と思ったのです。


休日

posted by take at 18:09| 活動報告

2020年03月29日

理想が気づかせてくれる奏法


完璧な演奏を目指すというスタンスが、自分に教えてくれる奏法というのがある。


誰しもが失敗の無い演奏、表現しきれた演奏がしたいだろう。つまり完璧な演奏。

その完璧さを目指すとき、音が当たるかどうかや、どのくらいの息で表現したいかを「賭けに出る」ようなアプローチでいるうちは、そうならない。

誰しもが絶対完璧に吹けるという確証はない。つまり確率の問題となる。賭けに出ている割合の高さと、この確率は比例する。

賭けに出ず、自分が理解やコントロールのもと吹けている割合が高ければ高いほど、完成度への確率は上がる。


少し話をずらすが……

オリンピックが延期になったことによる発言から、アスリートたちが四年間というのを意識してコントロールしていることが、今まで以上に本当によくわかった。

四年に一度に照準を合わせ、最高の状態でそのときを迎えられるように、計算やコントロールのもとに努力をしている。

今これを私たちの場合に当てはめたいのは、本番へ向けてのコントロールのことではなく、完璧な演奏への話。

アスリートたちは、いざ本番のときは、ただ全力を出すことに賭けるのだろうが、そこまでの時間は決して賭けには出てないはずだ。

そのときに完璧な身体と心であるよう、それこそを目指して練習している。そうすることによって、初めて完璧な状態になるトレーニング法や、パフォーマンスの仕方がわかるのだと思う。

努力が結果にというのではなく、目指す結果の種類がやり方を教えてくれる、オリンピックでのメダルをきちんと目指した人だけがわかるやり方があるのだろう。


私たちにも同じ。

そういう意味で、何を理想としているのか、そのタイプは本当に大事なのだと思う。


休日

posted by take at 17:08| 活動報告

2020年03月28日

ドラマが好き


実はもなにも、ここ数年ドラマをDVDで観ることにはまっているのですが、いい作品には当然いい脚本があるわけですね。

役者の演技力はもちろん大事ですが、その力量を生かすも殺すも話が面白いか、その話に散りばめられた場面設定と台詞が魅力的かに尽きます。


僕が思う面白いドラマというのは、全編を貫くテーマも大事ですが、たとえばそれが凡庸だったとしても、出演者たちのキャラクターがしっかりと細やかに設定され、適材適所適分量に置かれ、納得いくよう見事に絡み合っているもの。そしてそれが最初から最後までぶれないもの。


ドラマを観ている私たちが生きている現実社会には、人の数だけと言っていいほどいろんな性格の人がいる。

いい人悪い人、明るい人暗い人なんてざっくりではなく、本当にその人でしかないという個性ははっきりしており、そのほとんどは貫かれている。

躁鬱やジキルとハイドであっても、そういう多面性という点で貫かれている。

つまらないと感じるドラマは、その人のキャラ設定における箇条書き要素が少なく感じる。

ただ明るくて気が強いとか、親切でよく喋るとかだけだと、こちらが感じる印象が大味。

もちろんこれは演じる役者も自ら設定し醸し出すものかもしれないが、面白いドラマとは、出演者の数だけ強く濃厚な個性を感じることができる。

そしてそれが面白い内容や台詞と共にどんどん披露されていき、ドラマ全体が


「もうこのドラマはこれでしかない」


と思わせてくれる。

そのキャラ設定が途中でぶれて「え?なんでこの人がここで?ちょっとわからないなあ」と感じさせられたら、そこで途端に魅力半減。もちろん想定外なら、暫くして納得できるように仕込まれているものなら、更に面白くはなるのですが。


やはり見てるこちらは人間だから、人間を見たい。


そう考えるとオーケストラみたいだ。

作品は各楽器のキャラクターがしっかりと細やかに設定され、適材適所適分量に置かれ、納得いくよう見事に絡み合っているもの。

演奏家もキャラクターがしっかりと細やかに演じられ、適材適所適分量に発せられ、納得いくよう見事に絡み合っているもの。

そしてそれが最初から最後までぶれないもの。


人間が人間のために作るもの、そこに必要な魅力は最期は同じなのでしょう。


休日

posted by take at 17:29| 活動報告

2020年03月27日

退屈打破法


退屈は誰だって嫌でしょう。僕も超苦手。


実は、予定が無くなった時間を

「家にいるべきだから、できることしかできない」

と考えるか

「家が主戦場であろうが、自由にプログラミングできるからこそ」

と考えるかで選択結果、充実幸福か辛い時間かが決まる。


ふと留学中に似てるのかもと思った。

あのときはもちろん外出はできたが、学校や仕事含めやらなければならないことがほとんど無く、1日の時間をどう使うか自分でプログラミングできる自由があったという点において、似てるなと。


こんなときこそ育ちどき!!


いや、ポジティブをアピールしたいわけではありません。基礎トレーニングはもちろんだが、普段コンスタントに継続するのが難しい曲やエチュードに関して、1日の長い時間をかけて、休みながら取り組んでみる。

もちろん具体的目標と理想をもって。


実は今回自分で計画していた目的イベントは、場所が使えなくなったこともあり途中から頓挫したが、コロナがなんとか終息した際には、更にクオリティ高くガンガン取り組めるよう、長大な準備期間でとにかく精度を上げる。

今だからこそ変われることをする。

僕が退屈しない方法はこれしかない。


あとは、DVDと家人のご飯(彼女は大変ですが)と楽しい家酒。

最近はホッピーだけでなく美味しいヴァイツェン、鹿児島で買った本当にウマイ芋焼酎と、瞬時に沖縄ノスタルジーにトリップできる泡盛をいい感じで織り交ぜながら酔い交ざる。

アルコールプログラミング、アルプラもこりゃまた大事。


休日

posted by take at 17:46| 活動報告