2017年05月21日

刻まれる思い出


今日は、晴天の表参道にて生徒の結婚式でした。


彼はとても優しい男。楽聖時代は大人しく、発言も控えめで少々頼りなく感じたりもしたが、社会人になってからは、苦労しながらも真っ当に進み、頼もしさが溢れていってる。

明るく素直で自然体の新婦を選び、また彼も選ばれたことがとても微笑ましく、式から披露宴まで、心からの祝福に溢れた結婚式となった。


ふと思い出すのは、彼が一年生の時のこと。大学に出てこなくなった同級生の家まで行き、なんとか説得を試みたが叶わず、僕の前で報告しながら涙したこと。

その心根の美しさは、花嫁が最も愛したところなのだろう。


生徒の結婚式は格別に嬉しいものだが、いつも必ず、とても大切なエピソードをひとつ思い出すことになる。

それは若者から自然と発せられたものであり、虚飾のない人間性、その素晴らしさが極まった瞬間が、僕の心に刻まれいつまででも取れないということだと思う。


素晴らしい門出の日になりました。


拓馬、仁美さん、末永く幸せに!!


結婚式、ブロカート

posted by take at 21:04| 活動報告

2017年05月20日

人間は考える葦である


【考える葦】
十七世紀の哲学者、数学者、物理学者であるパスカルの著書『パンセ』にある言葉。「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」から。人間とは孤独で弱い生き物だが、考えることができることは偉大であり、尊厳があるとした。



でも、ずっと考えていたら疲れるし……

「人間は、実は考えずに言動して良い時が多いのである」

「人間は考える時と考えない時が必要な生き物である」

「人間は考える(考えこむ)と能力が落ちてしまう時がある」

「人間は考えてはならない瞬間がある」

「人間は考えずに、感じたり、考えずに積み重ねたりして成果を得たりもするのである」



番外編

「ニンジンは甘味(かんみ)がある味である」
火を通した

「にんべんは書いてみると味がある」
漢字フェチ

「逃げる時はカンガルーの足でやる」
ぬすっとの打ち合わせ

「陰険はかわるがわるアッシーを変える」
嫌なオンナ

「隣県はさんたんたる味である」
我が名物に自信あり

「人件費考えると足が出る」
残念な見積り


N響定期、アマチュアオーケストラ指導

posted by take at 21:20| 活動報告

2017年05月19日

納得のスイッチ


現実的には、私たちの楽器で出る大きな音量には、そりゃ限界はあるのだと思います。

ここまで大きく鳴れば良しなんて国際基準はないし、あまりに大きすぎたら聞いてる人は「素晴らしい」を通り越して「不快」からの「無理」になるのでしょうし。それでも、


『とてつもなく巨大な音量』


を欲してトレーニングすべきだと思う。


僕が大学生の時、プロオケに仕事に行った先輩が

「フォルテが信じられないくらいデカイんだよね」

と言ったことがある。ステージ上でそんな鳴りと響きに包まれる状況を妄想し、バカ吹きしていたのを思い出します。

もちろんバカ吹きしてたら音は荒れて汚くなるし、そもそも身体がへばってきて意外と持続はできない。

そこから、ただ力んで吹くのではなく「豊かに遠くへ」となっていくが、それでも常にとてつもなく巨大な音量に対する憧れは、持っている方がいいと思います。楽器のポテンシャル、そして自分のポテンシャルをフルに使うために。


そう納得のスイッチが入れば、プロへの階段を上り始めることも夢ではない。


N響定期

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2017年05月18日

カラヤンじゃない人


マエストロ・フェドセーエフとの素晴らしいリハーサルが続いています。明日からの本番、来週のコンサートもお客様にはとても喜んでいただけることでしょう。

今回だけでなく、今までの共演、全てロシア物なんですよね。マエストロ・スベトラーノフとはチャイコフスキーやリムスキーだけでなく、ブラームスやベートーベン、マーラーまでやったのですが、この人は(今のところ)オールロシア。

リハーサルは、彼の中に確固と定まっている歌い方、音の出し方を納得いくまで、口移しで何度も何度も繰り返すスタイル。こちらが「十分綺麗で素晴らしいなあ」と思っても、マエストロが納得いってないなら延々と繰り返される。

きっと、ボロディンもチャイコフスキーもグリンカも、世界中で客演したオケでそればかりやり、もう完全にやり口が決まってるんでしょうね。マエストロは、型が定まりきった自国の作品を、世界中で繰り返しているだけじゃないかと思いました。(本国では違うのでしょうが。)

そのロシアンリリックが超魅力的なので、こちらはそれでいいのですが、考えてみたらそんな指揮者、ほぼいないですね。


絶対自分の国の音楽しか取り上げない人。


ドイツ音楽しかやらないドイツ人、フランス物しかやらないフランス人、イギリスの作品しかやらないイギリス人……

初めての来演だったり、一回しか来なかったらあるだろうが、マエストロ・フェドセーエフは、実はレコードまでロシア物しかない。

そんなスペシャリストもいても面白いだろうなあと思いました。

一晩にあの国この国となると、今の指揮者たちでいいのだが

「今回はフレンチナイトにしよう。じゃあ、世界中でフランス音楽しか絶対やらないあのマエストロに依頼だな」

なんてのがあっても面白いかなと。


当然、インターナショナルなスタイルというわけではないからこそツボにはまり、なんとも良かったりし、やっぱりこういうの価値あるなあと思う気がするのです。


N響定期練習、ジパング

posted by take at 21:09| 活動報告

2017年05月17日

本当の実力


個人の技量の話。


吹奏楽が一番お化粧ができる。

次にオーケストラ。

次がアンサンブル。これも同種楽器で人数が多いほど上手く整えばごまかる。トロンボーンアンサンブルの八重奏よりはカルテットの方がシビアに個人の技量がわかる。それより異種の金管五重奏の方がシビア。それよりトランペット、ホルン、トロンボーンのトリオの方がより露になる。

一番実力がわかるのはソロ。それもトマジやギルマンより、スケールとオケスタを1人で吹くのが最も正確。これらをきちんと吹けるには、ありとあらゆることがそうとうちゃんとしてなくてはならない。


ある音大の先生が僕に嘆いてきた。

「昨日、大学のブラスの授業聞いてくれって言われて聞きにいったんですよ」

「どうしたの?酷かったの?」

「いえ、凄く上手かったんです」

「いいじゃない」

「いや、良くないんですよ。あいつら、一人一人は本当はあんなに上手くないんですもん。僕の生徒も全然上手くないはずなのに、上手い凄いって言われて喜んでる。バンドトレーナーが上手く聞かせる合奏してるからなんですけど、音大なんだから、本当に上手い人たちが集まって上手い演奏をするべきですよね」

彼の言うことはよくわかるが、個人個人の実力以上に上手く聞かせる合奏をすることが意味がないとは、正直言い切りにくい。


学生確保の意味含め、いろんな大学が合奏系の授業を増やす流れにある。それはそれとして、僕は、一人でスケールやオケスタを吹いた時上手く吹ける人材を望むし、そんな人こそを育てなければならない。

実は楽聖にとっても教師にとっても最も難しいことだが、最も価値のあることだと思っている。


N響定期練習、川越へ

posted by take at 16:25| 活動報告