2024年02月10日

若者よ、オリジナルであれ!


ブログを終了したのに書いています。どうしても書きたいことがあって‥‥番外編です。


巨星小澤征爾さんが逝った。

僕は幸いにも新日フィルとN響という小澤さんが指揮した両オーケストラにいられたので、思い出はたくさんある。新日に長くいた人ほどではないが、N響事件後数十年経っておこなわれたニ回だけあった本番も、両方共ステージにいられた。小澤さんはどこにいてもあの小澤さん。音楽が身体の全てを作っているような存在は変わらなかった。

今日この日が来てそれはそれでショックなのだが、同時にどこかで覚悟していた気もするし、それにしてもSNSやメディアがあまりに喪失感一色になっているのを見て、やはり来てほしくなかったという我が本音に気づける。

同時に僕自身は、あれだけ音楽が全てという人が、自分の身体で演奏できないことの無念、この10年間のそんな時間がずっと気の毒でならなかった。


そんな小澤さんがドキュメンタリー番組の中で「多くの若い人がカラヤン先生やバーンスタイン先生の真似をしようとするがそれではだめだ」と、自分を確立することの重要性を説いていた。

今このタイミングで改めてその通りだと思わされる。

若い頃に誰かに憧れて真似をする。器楽奏者なら吹き方のみならず、同じ楽器やマウスピースまで使って、トレーニングもその人のものばかりをやる人もいる。若きある時間、その憧れのエネルギーで自分を向上させるならそれはそれで悪くない。しかしとあるオケマンは「みんなAの真似をしようとするが、誰もAを超えようとはしない」と言った。

守破離の破と離は本当に必要で、たとえばその憧れで上手くなれたとしても、結局「〇〇の小型版だよね」と評されるのがおち。本家を超えるどころか同じ大きさになることも不可能なのが現実だ。それくらい多くの人が憧れるような存在はあまりに巨大で、そのすべてが個人的オリジナルであり、その大きさや素晴らしさと同じになることはあり得ないことだろう。


だから若者たちよ、最後はオリジナルであれ!小澤さんのように。


カラヤンやバーンスタインを敬愛しながら、その素晴らしさのエキスはコピーできるが最終的には決して真似をせず、自分の心の中にある音楽とだけ向き合う。そんな本物の勇気を持つのだ。

そして教師も本物の名手を育てたいなら、どんなに自分のやり方に自信があっても、敬意というメンタルや軽くコピーができるという能力は求めても、最終的に「真似をするな!オリジナルであれ」と言えなければならない。


真の巨星小澤さんは本当に多くのものを与えてくれた。人種や生まれ落ちたところ関係なく誇らしく音楽をやればいい、胸を張って演奏すればいいんだと、その生き様で示してくれた。その存在は、後進の我々にとってあまりに有難い恩恵になった。

同じ時代を生きられたことの感謝を胸に、残された我々は一心不乱に未来へ進むだけだ。


posted by take at 13:19| 活動報告

2023年12月14日

今までありがとうございました


このブログを読んできてくださった皆様、今まで本当にありがとうございました。突然ですが、本日をもちましてこの吉川武典の活動報告と題したページを終わりとさせていただきたいと思います。

特に何かトラブルがあったとか嫌になったとか、そういうネガティブなことでは全くありません。そろそろいいかなとぼゃっとした気持ちが湧いてきて、それに素直に従おうと思っただけです。


毎日書くことを前提に2011年11月15日スタート、12年と1ヶ月、計4420日進んでまいりました。

最初は作ったCDのアピールのつもりでスタートしたものでした。「一文でもいいから何かしら毎日あげないと絶対続かない自信があるから」という自虐信念の元、つらつらと書いていました。

そのうち自動的に「そのとき思っている自分の考えを書くページ」と変化。そのまま干支ひと回り、気がつくと随分膨大な量になり、項目別に編集したり、気に入ったものを選んでみようかなということも途中からは完全に諦めてしまいました。

読み返すこともほとんどありません。一方的に書き流してきただけとなってしまってます。

それでも、自分の考えを文章にまとめる作業というのは、僕にとってはとても良い機会になりました。これをした自分としていない自分では、考え方も話し方も大きく違っているのではないかと思います。

特に震災後の被災地との向き合い方、その中での気持ちの変化や気付きは、人としてどう周りと関わっていくのか、接していくのかということに関して、大きく悩んだ分だけ影響があったと思います。その悩みの数と量だけ、いくつもの答えを得ることができました。

学生たち(敢えて楽聖と表記してきました)とのことも、ここにまとめることにより、良い感じで進化してきたのではないかという自負があります。公表する以上、心にないことを無責任に書くわけにはいきません。心にあることを責任持って書くことを自分に課せたことで、より正直に、より真実とだけ向き合えるようになった気がします。これは教育の現場では最も必要な資質だとも思います。


レスポンスは設けず、閲覧数のリサーチなどもしてきませんでした。それでも、たまに「読んでますよ」とのお声がけもいただけたりして、読んでくださっている皆様がそれなりにいてくださるんだろうなあという確信のない妄想があり、そのおかげで続けてくることができてきました。

読んでくださってきた皆様には、心よりの感謝を申し上げます。皆様が僕を育ててくださいました。


これからはそれなりにかかってきた書く時間を、別の有意義なことに使おうと思います。更に演奏と若者の教育のために思ったり生きていくのに必要なことに気づけたなら、その瞬間に自分の頭の中の紙にどんどん書き込んでいきたいとも思います。

そして皆様と直接お会いできたとき、なんらかの形でお返しできたらなともと思っています。見かけたら是非お声がけください。


とても楽しい12年間でした。後悔は1ミリもなく、これからも笑顔で生きていきます。

皆様の幸せを願いながら。

本当にありがとうございました。


これにて、しゅうりょ〜う。m(_ _)m

posted by take at 16:41| 活動報告

2023年12月13日

多様性と考える?


性別はマイノリティ、マジョリティと表現すべきではないカテゴリーだと思う。

それこそ平等だと。

そもそもそこがスタートだと。

posted by take at 09:06| 活動報告

2023年12月12日

1人?


「人は1人で生まれてきて、1人で死んでいく。なんと寂しいことか」

と嘆いていた人がいたが、僕は全然そうは思いません。

結局ひとりぼっちじゃんということが言いたいのでしょうが、最初と最後が1人だからという考えがピンとこない。

「生まれてきたときは周り中が笑っている、死ぬときは周り中が泣いている、そんな人生を」という言葉の方がよほど心に響く。

生きている間、本当に一人きりだと思うのだろうか。

こんなに周りに生かされているのに。

posted by take at 09:01| 活動報告

2023年12月11日

ピアノリスペクト その2


ピアニストの動き、その特徴的なもののひとつに、鍵盤に対してはっきりとアプローチをした後腕を高く挙げるようなものがある。これはシンフォニーの最後のフォルテの伸ばしのように、音に拡がりを持たせたいとき自然となる動きだろう。

譜面台の下辺りから覗き込むとわかるのは、こんな動きのとき含め基本ハンマーはとても速く動き、弦に対して「瞬間的アプローチ」をしているということ。まさに打楽器のように。ハンマーが当たる瞬間もだが、弦から離れるスピードも極めて速い。そうすることで振動のスタートをハンマーが邪魔をしないだけでなく、速攻で細やかなバイブレーションが起こり、楽器全体をムラなく響かせることにも繋がっている。

このハンマーのアプローチはそのまま舌のアプローチともリンクする。フォルテは当然、実はピアノも動きが遅すぎないことが大切だ。瞬時に振動がスタートししかも解放された響きを得るためには、ハンマーの動きをイメージすることもピアノリスペクトのトレーニングでは意識してほしい。

「舌が息の流れの邪魔をしない」というのはしつこく伝えてきたことだが、「舌が振動のスタートの邪魔をしない」という価値観も大切なのだ。

サントリーホールでクリスチャン・ツィンマーマンのリサイタルなんかを聞いても思うのが、煌めくように美しい音というのは、あまりに毅然とした動きから生まれるということ。躊躇なんていうのはもってのほかで、力強く毅然と鍵盤にアプローチすることで「瞬間にホール全体に美しい響きが拡がる」

私たちの取り組みにも必要な感性だ。

posted by take at 08:47| 活動報告